1995年1月17日の阪神・淡路大震災から14年。当時私は大学生で京都にいて、早朝の大きな揺れにベッドから飛び起きた。京都は震度5だったと思う。本棚の下から三段目に置いてあった14型のブラウン管カラーテレビが床に落ちて壊れた以外はとくに被害はなかったが、それなりに重いテレビが落ちたのには驚いた。
その二週間後、地震の被害をこの目で確かめるため神戸まで行ってみた。阪急電車は西宮までしか動いていなかったので、西宮駅前でレンタサイ
クルを借りて、三ノ宮まで走った。二週間後ということで街は平静を取り戻してはいたものの、国道ではガレキを運ぶ大型トラックがひっきりなしに走りまわっていた。十階建てビルの四階部分だけがくしゃっとつぶれたオフィスビルは、まだそのままになっていた。倒壊した家屋のガレキ除去を終え、すでに更地になっていた一戸建ての敷地がたくさんあった。幸運にも全壊を免れた戸建の破損部分は青いビニールシートで応急措置がしてあった。交差点の角ではボランティアが汁物の炊き出しをやっていた。この地震はたくさんの生命を奪い、たくさんの人の人生を変えた。
そして昨年から再び京都に住むようになってから、当時の神戸の風景が頭をよぎり、やっぱり気になるのだ。京都に大地震は来るのだろうか? 来るとしたらいつなんだ?
この点、つい先日まで住んでいたタイ王国は、全くといっていいほど地震がないのである(左図)。タイからちょっと南に行ったところにあるインドネシアは地震大国だというのに不思議なもんだ。なぜタイには地震がなくて、日本やインドネシアには多いのか。それは、日本やインドネシアが、プレートがプレートの下に潜りこむ位置にある土地だからだと言われている。
まあそんなことを嘆いても仕方がないので話を京都に戻すが、実は京都では1596年(慶長元年)に大地震が起きている。時は太閤秀吉の時代。秀吉は関白職を秀次に譲って、自らは洛中を出て伏見に城を築いて住んでいたのだが、その伏見城の天守閣が慶長の大地震で全壊している。被害は伏見だけにとどまらず、方広寺(東山)にあった日本最大の大仏(高さが18-19mあったらしい)もこの地震で倒壊した。東寺(洛南)も大被害を被った。地震報告書の類が残されていないので断片的な記述の寄せ集めになってしまうのだが、大地震であったことは間違いない。一説にはマグニチュード7.5とも言われている。
地震には周期があるので、慶長の大地震の震源や動いた断層がはっかりわかれば次の時期も推定できようものだが、あいにくこれまでの研究でははっきりしたことは言えないようだ(※有馬高槻構造線との説が有力)。ただ、京都の活断層は活動期に入っていると各所で言われている。
とすると気になるのはその時期と規模だ。まあ完全に予知できるものではないと断った上で、これまで見聞きした情報を並べてみよう。
・防災科学技術研究所が運営している地震ハザードステーションによると、京都府南部で30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率は26%を超えている。
・ホームページ、地震・防災「あなたとあなたの家族を守るために」によると、京都府城陽市南部から奈良県桜井市にかけて南北に位置する奈良盆地東縁断層帯で30年以内にマグニチュード7.4程度の大地震が発生する確率は0%-5%。
・先日お話を聞いた耐震診断士(建築家)によると、京都に震度7強クラスの地震が来る恐れはしばらくないが、琵琶湖西岸断層、大阪の上町断層、和歌山の紀ノ川周辺ではいつ起こってもおかしくなく、その結果京都も震度7弱の地震となる恐れがあるという(※規模についてはやや脅かされたのだと思う。)
とりあえず明日、避難セット一式を買いに行こうと思う。
※トップの2枚の画像は神戸市の「災害と震災 資料館」様より、「京都周辺の過去の大地震」の画像は京都市消防局様よりいただきました。