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2008年12月の記事

2008.12.28

旧暦の年中行事に遊ぶ

Yoko 生活の中に旧暦を取り入れて暮らすのがひそかなブームらしい。旧暦には季節感があり、行事を通じて伝統文化も感じられ、毎日をより楽しめる親スローライフな暦なのだそうだ。

この意見には大いに賛成だが、とはいえ旧暦で面倒なのは行事の日にちが毎年変動することで、きちんとフォローするのは結構大変だ。そこで、理解のため年中行事の類型化を試みたところ、年中行事はカレンダーとの関係では4種類に分類できることがわかった。

A群 はじめから新暦の行事
B群 以前は旧暦だったが、現在ではもっぱら新暦で行われる行事
C群 もともと旧暦の行事で、現在でも旧暦で行われる行事
D群 旧暦というか、二十四節気に基づいて行われる行事

Atod

このうちA群とB群は毎年日にちが固定されており間違えることはない。行事日に迷うのはC群とD群だろう。これらをてっとり早く調べるためには、こよみのページが便利だ。暦のプログラムが組んであって、たいていのことはここで調べられる。

ただ、その行事日がどうやって決まるのか、一応のロジックを知っておいた方が応用がきいていいだろう。そこでC群とD群について簡単に説明を試みる。

1.太陰太陽暦の行事

C群の行事は、旧暦正月、旧盆、中秋の名月など、月の満ち欠けを基準とした太陰太陽暦で行われる行事である。旧暦正月(旧暦1月1日)はいつだって新月だし、旧盆(旧暦7月15日)や中秋の名月(旧暦8月15日)は満月だ。(※厳密には微妙に違うこともあるがここでは分かりやすさを優先して無視することにする。)

Shougatsu月の新月から新月までの周期約29.5日に合うように、29日の月と30日の月を交互にならべて一か月とする太陰太陽暦では、12か月は354日となる。他方で太陽と地球の関係で求められる一年間は約365.2422日だから、毎年約11日ずつのずれが生じる。これを解決するために19年に7回ほど、閏月という30日の13ヶ月目を足して、一年を384日とするのだ。ほぼ3年に1回、閏月を入れていることになる。

左の表はここ10年の旧暦正月の新暦での日にちである。2006年は1月29日だったが、2007年は2月18日、2008年は2月7日、そして来年2009年は1月26日と、毎年約11日早まったり、約19日間遅まったりする。閏月がなかった翌年は約11日早まり、閏月があった翌年は(-11+30=+19)というわけで約19日遅くなるわけだ。

2.二十四節気の行事

他方、D群の行事は二十四節気に基づくものである。二十四節気とは天球上の太陽の通り道(黄道)を24で割った太陽の位置を示す座標で、黄径0度が春分点で、春分点を含む日を春分の日としている。同様に、黄径90度が夏至点で、夏至点を含む日が夏至の日となる。

Suii ところで二十四節気は黄道上の座標だから、これは太陽暦なので、同じく太陽暦であるグレゴリオ暦(現在利用している太陽暦)と差はないはずである。ただ、約365.2422日である太陽年をグレゴリオ暦では365日と366日の組み合わせで解決しているため、標準日±1日くらいの幅で変動する。というのも、春分を例にとると、0.2422日は約6時間なので、365日の年は暦上前年に比べて春分点が約6時間遅くなり、366日の年は春分の日の前に2月29日の閏日が入るため、6時間-24時間分だけ早くなるからだ。具体的に見ていくと、2007年の春分点は3月21日の9時頃だったが、翌2008年(閏年)の春分点は3月20日の15時頃、2009年は3月20日の21時頃、2010年は3月21日の3時頃、2011年は3月21日の8時頃、2012年(閏年)は3月20日の14時頃になっている。春分点を含む日を春分の日とするので、春分の日は2007年は3月21日だったが、2008年と2009年は3月20日、2010年と2011年は再び3月21日、2012年は再び3月20日となった。右上の表は1801年からの250年分の春分の日のグラフだが、3月21日±1日となっていることがわかる。他の二十四節気も同じルールで日が決められる。節分(立春の前日)も、立春が同じルールで決められるため、同じルールで決められる。一応調べてみたところ、節分は20世紀前半は2月4日となることが多かったが最近では2月3日が多く、21世紀も後半になると2月2日が目立つようになる。じわじわと早くなっているが、2100年が閏年ではないことで、またそこで24時間遅くなり調整される。

以上のように、C群もD群も行事日が変動するのがややこしい。しかも変動の幅はC群とD群で異なり、C群の方は振れ幅が大きく、D群は一見固定に見えて微妙に変動する。この辺が話を更にややこしくしているのだと思う。ただ、こうして分類することで、少しは頭に入りやすくなったんじゃないか・・・そうでもないかな。

(※以上は詳細を省いたおおざっぱな説明なので、より正確には専門のページをあたってください。)

【参考】
春分の日データ http://ns1763.ca/equinox/vern1788-2211.html

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2008.12.25

さそり座の月にさそり座が見えないわけ

Scorpius_2 私は11月生まれのさそり座だ。だからさそり座は私の守護星で、11月になるとさそり座が天高くから私を温かく見守ってくれるんだろう、そう思っていた。だが小学生の後半くらいの時だろうか、さそり座というのは夏の星座で、11月の夜空には輝かない星座だということを知った。じゃあなんで11月生まれがさそり座なんだろう。その疑問は解決しないまま、いつしか忘れ去られていた。

そしてそれから20年ほどが経過した2008年4月、この謎が解けた。そのきっかけとなったのは、タイの新年を祝う水かけ祭り、ソンクラーン祭だった。その経過は以前こちらこちらにまとめたが、タイ王国という西洋占星術とは一切関係がなさそうな場所で、予期せず出会ってしまったところが面白い。

さて今日は、この「さそり座の月にさそり座が見えない理由」について、もう少し一般的に言うと、西洋占星術の「~座」と夜空の実際の星座の関係について、整理しておくことにした。

1.    黄道十二宮という概念

 まず、「私は11月x日生まれだから、さそり座です」というのは混乱を招く間違った表現で、正しくは「天蝎宮です」と言わなければならない。夜空に浮かぶ実際の星座であるさそり座と、黄道十二宮という抽象概念の一である天蝎宮は別物であることが理解への第一歩だ。

Zodiac12_2 黄道十二宮というのは天球上の太陽の通り道(黄道)を、白羊宮から双魚宮までの12のエリアで均等に割った概念だ。360度を12で割るのだから、それぞれの宮が30度ずつ受け持つことになる。白羊宮は黄道0度~30度、次に金牛宮は30度~60度、8番目の天蝎宮は210度~240度までだ。それぞれの宮の名前は、その位置にあったそれぞれの星座から付けられた。そして、占星術でいう「xx座」、正しくは「xx宮」というのは、その時期にその宮に太陽がある時期のことをそう呼んでいる。現代では3月21日頃~4月20日頃までの間は太陽が白羊宮にあり、4月21日頃~5月22日頃までは金牛宮に、10月24日頃~11月22日頃までは天蝎宮にある(トロピカル方式の場合。詳細は省略)。

 太陽があるということはその明りで星が見えないということであり、とすると太陽が天蝎宮にある時にさそり座が見えないのはむしろ当然だ。子供の頃思っていた「さそり座の月にはさそり座が見えるはず」という考えは、黄道十二宮の意味を知らない子供の発想だったわけだ。むしろ11月によく見えるのは、黄道十二宮を円で描いた時に、天蝎宮の対面側にある宮の星座群ということになる。

 ただし、ちょっと注意が必要なのは、黄道十二宮が整えられたプトレマイオスの時代から既に千数百年が経過しており、地球の歳差運動により、当時は4/14頃にあった春分点が現代では3/21頃になっている。黄道十二宮(トロピカル方式)では春分点に合わせて十二宮をずらした結果、「宮」ともとの星座の場所とは24日分ほどずれてしまった。だから実際には、太陽が天蝎宮にある時(10月24日頃~11月22日頃)、その場所にある星座は本来あるべきさそり座ではなくておとめ座やてんびん座である。同様に、対面にある金牛宮の真夜中の南の空の星座は、おうし座よりはおひつじ座である時期が長い。

2.    観測時刻との関係

 さて、実際の天蝎宮の時期(10月24日頃~11月22日頃)の夜空をFarSkyという天球シミュレーションソフトを使って見てみる。これは無料でダウンロードできる素晴らしく出来の良いソフトである。なお観測地点は京都市としたが、東京でも大差ないだろう。

Farsky_3  天蝎宮期間の真ん中である11月8日の0時0分の夜空には、西の空にうお座、南の空に おひつじ座とおうし座、東の空にふたご座が浮かんでいる。これは前節の末尾に書いた内容とぴったり合っていて、理論から導いた結論と現実が合致していて嬉しい。

 真夜中に夜空を眺める人はあまり多くはないので、11月8日の20時の夜空で見てみると、西の空にはやぎ座、南の空にみずがめ座とうお座、東の空におひつじ座がある。0時の夜空と比べてみると、20時には東の空にあったおひつじ座が0時には南の空へ、20時には南の空にあったうお座が西の空へ、それぞれ移動していることがわかる。

 11月9日の朝4時の夜空では、西の空におひつじ座とおうし座、南の空にふたご座、東の空にかに座としし座がある。0時からさらに4時間分(60度)、西に動いたわけだ。期待どおり、太陽が天蝎宮にあるこの時期には、夜空を一晩中眺めてもさそり座を見ることはできない。さそり座は地平線のむこうだ。

Scorpius2_3 では逆にさそり座はいつ見れるのか。これもFarSkyを使ってシミュレーションしてみると、6月1日に深夜0時0分に真南の空に浮かぶ。これは天蝎宮の時期(10月24日頃~11月22日頃)から、ちょうど半年+24日後の時期になっていて理論値と合う。夏が深まっていくにつれさそり座が空に浮かぶ時間も早まっていき、7月1日には19時頃には南東の空にあり22時に真南に、8月1日には19時頃には南の空の地平線すれすれに顔を出し、20時に真南に浮かぶ。7月、8月は23時、24時ごろまで夜空にある。夏にはよく見えるわけである。9月も終わり頃になると、19時頃に西の空にあるが、すぐに沈んでしまう。夜空にオリオン座が目立つようになったら、しばらくは潜伏期だ。実際には日中に空に出ているのだが、明るくて見えないのだ。そして次に再び夜空に顔を出すのは2月初旬頃で、早朝の5時に東の空の水平線上ぎりぎりに顔を出す。それから6月くらいまでの間は、もっぱら夜中から早朝にかけて見ることができるが、この時間に起きている人は多くはないだろう。その意味で、さそり座は夏に一番よく見える星座と言っていいだろう。

 以上、まとめると、さそり座の月の夜空にさそり座が見えないわけは、まずは天蝎宮という黄道十二宮の概念上、さそり座と太陽の位置とが重なる(24日分ずれているがそれでも近い)からであり、夏の星座と言われるわけは、観測時刻との関係で夏に人の目に触れることが多いからである。とまあ、こういうわけでした。

※さそり座の画像をこちらのサイトからいただきました。

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黄道十二宮と二十四節気の関係

Zodiacs2 黄道十二宮と二十四節気の関係。

このように並べてみると、昨日書いた Tropic of Cancer (北回帰線=夏至)、Tropic of Capricorn (南回帰線=冬至)というのも意味がよくわかる。なぐり書き程度のラフスケッチで、書籍を参考にしたわけではないので間違いもあるかもしれないけど、一度図にまとめておきたかったので。
(※もし間違いを見つけたらご指摘ください。)

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2008.12.23

カプリコーンと南回帰線

1707_2 ウェブで見つけて一目惚れして買ってしまった自分へのクリスマスプレゼントがアメリカから到着した。見ての通り、地球儀です。

- 木目のアンティークなデザイン
- 地殻の凹凸を正確に再現
- コロンブスやバスコ・ダ・ガマやマゼランの航海ルートを絵示
- 気圧計、湿度計、温度計の3つの計測器

なんとも、男心をくすぐる一品なのです。

そしてアメリカ製なので、表示は全て英語。 気圧計の表示はヘクトパスカル(hPa)と水銀柱(inHg)の二種類で書かれていて、現在1032hPaで34.8inHg(たぶん単位はインチ)。 気温は摂氏と華氏の二種類で、現在10℃で51°F。 この辺の細かいところもツボを突いてきてたまらん一品なのです。

1712 北回帰線を見ると、 Tropic of Cancer と書いてある。南回帰線は Tropic of Capricorn

キャンサーといえばカニ座、カプリコーンはやぎ座だ。いったいどういう意味?と調べてみると、これはカニ座じゃなくて巨蟹宮、やぎ座じゃなくて磨羯宮のことで、黄道十二宮だ。

その意味するところは、北回帰線というのは夏至の太陽の位置のことだが、これは黄道でいうと90度。つまり双児宮から巨蟹宮に太陽が入る点だ。同様に、南回帰線というのは冬至の太陽の位置で、黄道270度。太陽が人馬宮から磨羯宮に入る点だ。

つまり英語では、回帰線は夏至や冬至を意味し、黄道十二宮の名称で呼んでいたのだ。

一つの地球儀からでも、こんな背景が見えてくるのが面白い。

1715

※以前書いた、タイ文化と黄道十二宮に関する記事はこちら

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2008.12.17

もしも菩薩が天使になったなら

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これらは、平等院鳳凰堂の中堂内で、ご本尊である阿弥陀如来像を囲むように飛び回っている雲中供養菩薩像と いう。全部で52体あり、1体の大きさは高さがだいたい50-70cmほど。浄土教の教えでは、人が亡くなったときに、西方極楽浄土から阿弥陀様がお迎え にくる。西方極楽浄土には美しい花園があり、おいしい食べ物があり、天人が舞っているのだとか。その天人がこの雲中供養菩薩達で、天下人藤原頼通(990-1074)が極楽浄土を想い、定朝とその工房の仏師たちに作らせた。

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平等院鳳凰堂で、これらの仏像の存在を始めて知って、。驚いた。こんなお気楽に楽しんでいる仏像が日本にもあったんだ?! 菩薩といわれれば思いつくのは観音様、お地蔵様、弥勒菩薩くらいだけど、これらの仏像は普通は微笑んでいるか、瞑想しているかだと思う。雲中供養菩薩像のように、グループになって、楽器を演奏したり、踊ったり、恍惚の表情を浮かべていたりして、しかも雲にのってふわふわしているなんていう菩薩は初めてだ。まるでキリスト教の天使像じゃないか。あるいはインドの神様、たとえばサラスヴァティのようだ。

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雲中供養菩薩像ってなんなんだ。よくわからない。けどよくわからないから面白い。今後の研究課題の一つとしておこう。

※これらの写真については、書籍『魅惑の仏像17 雲中供養菩薩』の発行者である毎日新聞社が著作権を有しています。

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2008.12.12

平等院鳳凰堂

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先月末、紅葉を見に宇治の平等院鳳凰堂に行った。

この平等院鳳凰堂、10円玉の表面にもなっており名前は有名だが、行ったことがある人は多くはない。それは場所が宇治にあるからで、宇治界隈は源氏物語を主目的に旅する人にとっては最重要地だが、とりあえず京都へという人には中心部から遠いので外されてしまうエリアだ。そこで三度目、四度目の京都旅行で初めて訪れる人が多いようだ。

作ったのは藤原道長の息子の藤原頼通。浄土教の西方極楽浄土をイメージして作ったのだそうだ。ご本尊は阿弥陀如来。

鳳凰堂というからには鳳凰がなくてはならない。でも10円玉には鳳凰はない。いったいどういうわけだ? と疑問に思っていたが、行ってみたら鳳凰は名古屋城の鯱鉾のように、屋根の両端にとまっていた。

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Mansatsu_2よくよく見てみると10円玉にも屋根の上に点が2つある。どうやら小さすぎて描ききれてないだけのようだ。ただ、その代わりという意味なのか、この鳳凰は1万円札の裏にも登場していた(右写真)。ある意味、日本で一番有名な鳥かもしれない。そのルーツがここだったなんて全然知らなかったけど。





 

Kane_3 こちらは平等院の梵鐘(左の写真)。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りが彫られ、「姿、形の平等院」として天下の三名鐘の一つに数えられているのだそうだ。現在ぶらさがっているのはレプリカで、本物は宝物殿にある。













実はこの鳳凰と鐘は、切手の図柄としても普段から目にしていたものであることが、この記事を書くために調べていて初めてわかった。なんだか急に親近感がわいてきた。「なんだー、お前らはココに住んでたのか。元気だったかい?」 そんな感覚。

150yenkitte 60yenkitte







次に続きます。

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