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2008年2月の記事

2008.02.10

アブラハムの宗教

Moses大学で西洋文明の授業を受けている。講師はタイ人の奥さんを持つ、若いフランス人だ。このフランス人はなかなか良い講師で、ギリシャ/ローマ文明やキリスト教について、自分の主張を交えて熱く語ってくれる。最近ではフランス訛りの英語も耳に心地よくなってきた。

「10 Commandment を知ってるか?」

知らないと答えると、不思議な顔をされた。
辞書で調べると、これはモーセの十戒のことだった。確かに戒律というより命令(コマンド)そのものだ。

彼の意見では、このモーセの十戒は、キリスト教を通じて西洋人の価値観に大きな影響を与え続けてきたという。たとえば「嘘をついてはならない」。ヨーロッパにおいては、理由はなんであれ嘘をつくことは大いに社会的信用を失する行いだそうだ。また「姦淫をしてはならない」。これは一夫一妻につながっていく。

禁じられた知恵の樹の実を食べたアダムとイブ以来、人類は原罪を持ってしまった。だから人間は自然のままではだめで、自己を鍛練しなければならない。西洋人がジョギングやスポーツが好きで、スポーツマンが賞賛されるのも、一つにはこの自己鍛練の価値観がある。

と、まあこういうことを語ってくれるのだ。

閑話休題。
Religionsymbolabr
ところで、上記のアダムとイブの物語やモーセの十戒などは旧約聖書に書かれている(以後、中立的に「ヘブライ聖書」と呼ぼう)のだが、ヘブライ聖書は、ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも聖典だ。これは、ユダヤ教から派生した第一次改革派がキリスト教、第二次改革派がイスラム教だからだ。改革派はそれまでの価値観を全否定はせず、いいところは残すので、古いものの上に新しいものが積み重なっていく。だからこれらの宗教と聖典の関係は、次の通りになっている。

 (宗教名)      (主要聖典)
◆ユダヤ教    ヘブライ聖書
◆キリスト教   ヘブライ聖書と新約聖書
◆イスラム教   ヘブライ聖書と新約聖書とクルアーン

ちなみにそれぞれの内容はというと、おおざっぱに言ってこんな感じらしい(原典を読んだことがないので、ききかじりです)。

◆ヘブライ聖書   アダム、ノア、アブラハム、モーセなど
◆新約聖書     イエスキリスト
◆クルアーン    ムハンマド(モハメッドのこと) 

アブラハムという名前がキリスト教徒(たとえばエイブラハム・リンカーン米大統領)にもイスラム教徒(イブラヒームとなる)にも共通するのは、ヘブライ聖書に由来しているからだ。イスラム教徒がキリスト教徒と同じようにヒトは猿が進化したのではなく神が創造したと考えているのも、同じくヘブライ聖書にアダムとイブの物語があるからだ。

そしてこれらの宗教をまとめて、「アブラハムの宗教」(Abrahamic religion)と呼ぶのだそうだ。これに対応する言葉はDharmic Religion(法の宗教)とTaoic Religion(道の宗教)である。前者にはヒンズー教と仏教が含まれ、後者は道教のことだ。なかなか使い勝手の良い分類法だと思う。

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2008.02.09

授業スタイルの変化 10数年前と今

Da_vinci_vitruve_luc_viatour_2 私が通う大学では、ほぼ全ての教室にパソコンとプロジェクターが備え付けられている。講師たちは、よくまとまったパワーポイントで授業を行う。視聴覚教材も多様で、デジカメ画像、ウェブから拾ってきた画像、DVD映画などさまざまだ。私が現役大学生だった10数年前と比べると、授業風景は大きく様変わりしたなと思う。

思えば10数年前の大学の授業風景というのは、こんな感じだった。

講師はひたすら話す。たまにキーワードのみ黒板に板書する。生徒は自分の頭の中で整理しながらノートを取る。視聴覚設備のある教室は少なかったから、画像や映像を見ることは稀で、講師が何か生徒に見せたいときは、白黒コピーや書籍そのものが回ってくるのが普通だった。ビデオテープで映画を見る際は、良いポジションを得るために争って椅子を動かしたものだ。

こうしてあらためて今と昔を比べてみると、大きな違いが一つあることに気づく。そDavid_von_michelangeloれは、ダメ講義が減ったことだ。

良い講義は今も昔も良い。視聴覚教材がなくても話法ひとつで聴衆をひきつけ、論理的に展開していく講義は面白く、理解しないとノートが取れないので必死で理解しようとし、授業後には心地よい疲労感が残った。最近の良い講義は、それに視聴覚教材が加わってさらにパワーアップしている。とくに歴史や芸術など、研究対象が過去のことだったり作品だったりする授業での視聴覚教材の威力は顕著で、たとえばイタリアルネサンスの授業では、何百枚ものダビンチやミケランジェロなどの絵画や彫刻や建築を見られることの効果は言うまでもないだろう。

他方で、昔はダメ講義が多かった。研究者としては優秀かもしれないが、教育者としては不適格と思われる学者が、ボソボソとノートを読みあげていく。体系的、論理的に話をしないので、どこの何について話しているのかさえもわからない授業も多々あった。現在はこの点は、パワーポイントの講義でかなりの部分が改善できる。説明下手ならグラフや表で視覚的に伝えることもできるし、話術がなくても映像で聴衆の関心をひきつけることもできる。誰でもそれなりの授業ができるハード面のインフラが整った、といえると思う。

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