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2008年1月の記事

2008.01.12

パッタイの作り方

Padthai

タイの焼きそば、パッタイの作り方のメモです。これも大学で習ったもの。観光系に強い学部なのでこんな授業もあるのです。

◆材料
  海老、にんにく、赤タマネギ、豆腐、たくわん、桜エビ、たまご、もやし、青ネギ、ピーナッツ、ライム、センレック麺(以上パッタイ用)、タマリンド、ライム、砂糖、ナンプラー、チリソース、水(以上タマリンドソース用)

◆下準備
  - 海老は頭とカラと背綿を取る。
  - にんにく、赤タマネギ、豆腐、たくわんはみじん切りに
  - もやしはヒゲの部分を落とす
  - 青ネギは青い部分だけ5センチほどの長さに切る
  - ピーナッツは炒ってから皮を落とし、細かく砕く

Zairyo
ひとり分の分量はこんな感じ

◇タマリンドソースを作る
  タマリンド(ペースト状になったもの)を鍋に入れ水を加えて煮る。ライム、砂糖、ナンプラー、チリソース(市販の瓶入りのもの)を適量混ぜて煮込んでできあがり

Tamarind
これは100人分くらいあるかも

◆調理手順 

(1) 中華鍋に油をやや多めに敷き、海老をさっと炒め(半分揚げるような感じ)、すぐに取り上げる
(2) にんにく、玉ねぎ、豆腐、たくわんをよく炒める
(3) センレック麺を入れ、続いて水を加え、蒸し炒るような感じで約1分
(4) 桜エビ投入
(5) タマリンドソースを大さじ2-3杯(好みで調整)
(6) 料理をやや脇に寄せ、真ん中にたまごを目玉焼きのように落とし、少し固まってから上に料理をかぶせ、少し混ぜる
(7) もやしと青ネギ投入
(8) 海老を再投入
(9) くだいたピーナッツを加えてできあがり。

ライム、チリ、ナンプラー、生もやし、ピーナッツなどを好みで加えて食べる。上の写真ではオムライスのように薄焼き卵でくるみ、タケノコを添えてある。

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2008.01.10

やっぱオランウータンでしょ

Orangutan2

 

Orangutan_2

Orang3
石で柱を叩いて遊ぶ

Orang4
草をいっぱい集めて・・・


Orang5
おもむろに頭からかぶるのです

◆撮影場所: ロッカウイ野生動植物園(コタキナバル)Lokkawi
◆撮影日: 2007年12月29日

ここでは五匹のオランウータンを見ることができた。予想に反してオランウータンは愛嬌のかたまりで、石遊び、草遊び、ロープ遊び、フライングボディアタックなど数々のパフォーマンスで楽しませてくれた。飼育員が唇を鳴らしたら、同じように唇を鳴らして返事していた。かなり上等な知能をもっている。

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2008.01.08

ボルネオ島の歴史と日本軍

Borneomap見ての通りボルネオ島にはインドネシア、マレーシア、ブルネイの三つの国がある。日本の国土の倍ほどもある大きな島とはいえ、なんでこんなに変な国境線が引かれてるんだ? と不思議に思って調べてみると、意外なことがわかった。この地域の島々で旧イギリスの植民地だった地域が戦後独立してマレーシアに、旧オランダの植民地だった地域がインドネシアになったのだそうだ。ボルネオ島という呼び名もマレーシアの呼び名で、インドネシアではカリマンタン島という。

そしてこの島は日本軍に占領された歴史も持つ。太平洋戦争が始まるやいなや、日本軍はインドネシアを目指して進軍する。目的は石油などの資源。今でもインドネシアやブルネイは世界有数の石油産出国として有名だが、アメリカに石油輸出禁止という経済制裁をされて身動きのとれなくなった日本は、蘭印(つまりオランダ領インドネシアのことで、ボルネオ島も含む)の石油を手にすることを一大戦略目標としたのだ。

Pacific_war__dutch_east_indies_1941
右の図は1941年開戦当初の蘭印における日本軍の足跡。よくもまあ資源も体力も続いたね、と感心するくらい、短期間に広大な地域を征服している。

書いてある日本人の名前くらいは調べてみようか。インドシナ半島の「TERAUCHI」というのは寺内寿一総司令官が率いる南方軍、「IMAMURA」というのは今村均司令官が率いる第十六軍、ボルネオ島の東の海に見える「SAKAGUCHI」というのは第十六軍傘下で坂口静夫少将が率いる混成第56歩兵団を指しているようだ。

海上の「TAKAHASHI」「OZAWA」「NAGUMO」「KONDO」というのはそれぞれ海軍の高橋伊望司令長官が率いる第三艦隊、小沢治三郎司令長官が率いる南遣艦隊、南雲忠一司令長官が率いる第一航空艦隊、近藤信竹司令長官が率いる第二艦隊のことと思われる。そうそうたる将軍と艦隊が総出動という感さえある。

ボルネオ島における陸戦は、上記の坂口支隊と川口清健支隊長率いる第二五軍隷下第十八師団の一部(川口支隊)が受け持った。ボルネオ島各地でイギリス軍、オランダ軍、オーストラリア軍などと戦って撃破している。

Imamura日本軍に占領されたボルネオ島は、陸軍と海軍で北と南に分割統治されることになった。北側の守備隊長は、陸軍の中畑(下の名前不明)、前田利為、山脇正隆各氏、南側は海軍の上杉敬明氏。せっかく関わりのできた地域なので、過去にこの島に大きく関係した日本人の名前くらいは覚えとこうと思ってリストアップしてみた。

占領軍と現地住民の関係は必ずしも良好ではなかったようで、1943年にはコタキナバルでも反日ゲリラによる日本人殺害(と、それに続く現地住民の大量処刑)事件(アピ事件という)なども起きている。その一方で、隣のジャワ島では今村均大将が大変な善政をしき現地人にも慕われ、今でもインドネシアの教科書に載っているというから、軍政といっても指揮官によってずいぶん変わるもんだ。

その後反攻に転じた連合軍の空爆にあい、コタキナバルの街は徹底的に破壊され戦後を迎える。その後ボルネオ島の旧オランダ植民地は周辺のオランダ植民地と一緒にインドネシアとして独立、旧イギリス植民地はマレー半島のイギリス植民地だったマラヤ連邦と統合してマレーシアになる。

現在のおだやかなビーチやのどかなオランウータンの姿からは想像できないけど、ボルネオ島は世界史に翻弄されながらも逞しく生きぬいてきた島なんだ。

[参考にしたサイト]
http://borneo.web.infoseek.co.jp/nennpyou2.htm
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssah/seminar/ktreport/kt011027.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87 

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2008.01.07

コタキナバルに行ってきた

Kotakinabalu

さあ今年の年末年始をどこで過ごそうか。オランウータン、熱帯雨林、きれいな海。うん、コタキナバルにしよう。マレーシアならタイからも近いし。

そんなノリで割と気軽に決めたコタキナバルだが、行ってみると意外と遠かった。プーケットからクアラルンプールまで飛行機で1時間強、乗り換えてコタキナバルまで2時間。プーケットからだと東に2500kmくらいあるようだ。緯度はほぼ同じだが、経度は約20度違う。地図の通り、海を渡ればすぐフィリピン、山を超えたらそこはインドネシア。ボルネオ島の北西岸にある街だ。とりあえず写真をご覧あれ。

Kitabalu
高さ4000m強のキナバル山。街の名前はここからついた。「コタ」はマレー語で街の意味。

Beach
本島から船で15分ほどのところにある島

Mosque
伝統的に水上生活を営む人々の集落。イスラム教徒なのでモスクがある。水上生活は波の音を聞きながら眠る夜が特に最高なんだそうだ。

Utsubo
ウツボカズラの一種。現地の女性は若いウツボカズラにたまっている液を化粧水に使う伝統があるらしい。

Coke
アラビア文字(ジャウィー文字かな)で書かれたコカコーラのポスター。街中でジャウィー文字を目にするのはけっこう珍しい。ほとんどの看板がローマ字(マレー語、英語)と漢字(中国語)だ。

Shokudo
街中の食堂。ここはマレー人経営(華僑じゃなくて)の中華料理屋のようで、清潔でよかった。酢豚ならぬ酢鶏、海鮮麺などが美味しかった。

Sabahu
マレーシア・サバ大学。地理的に生物、海洋などの分野に強そう。

#オランウータンについては別途記事をあげます。

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