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2006年4月の記事

2006.04.12

漢字が書けないチャイニーズ

とある日本人の友達に、二人のタイ人を紹介された。W君はチュラロンコーン大を卒業したばかりの22才。 そのW君の友達のHさんは、同じく22才で大学卒業後、 日系企業に勤め始めたばかり。

この二人、どうも顔立ちがタイ人っぽくない。色も白いし、顔つきが柔らかいのだ。そこで聞いてみたところ、W君は片親がチャイニーズ、Hさんは両親共にチャイニーズだった。ここで言うチャイニーズとは、中国籍という意味ではなく、華人という意味である。

ところがこの二人、中国語が話せない。マンダリン (北京語)はもちろん、祖先の出身地である中国南部の言語も話せない。家では親兄弟ともタイ語で話すし、学校もずっとタイの学校に通ってきた。だから漢字も書けない。

でも英語は話す。先日シンガポールに行ったというので、むこうの華人とは何語で話すのと聞いたら、「英語で話す、それが自然」との答えが返ってきた。

顔立ちがチャイニーズなので違和感があるが、 移民三世、四世ともなればこうなるのがむしろ当然なのかもしれない。 でも宗教はタイ仏教ではなくて、先祖代々、道教のようだ。

なお彼らは苗字もタイの苗字化している。 例えば陳という姓だったら、陳の意味をタイ語に直訳して、 それを苗字にしたのだと教えてくれた。だから長い。もっとも一般にタイ系のタイ人の苗字も長いので、 長さでは際立つことはないが、一目見て、 華人系の苗字であることはわかるらしい。

彼らは華人としてのアイデンティティは捨てていない。 だが、タイにはお客様として住んでるのではなく、タイ人そのものである。存在そのものがマルチカルチュラル なのだ。国籍とか民族とかで存在を定義しようとするから偏狭になるんだ。

#wikipediaで「タイの華人」 という項目があった。華人とはいいながらも経済的には 中国との結びつきは薄いこと、華人同士でも 方言が違うと意思疎通が困難だったためタイ語で話したこと など、ユニークで面白い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E8%8F%AF%E5%83%91

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2006.04.10

集団エアロビクス

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バンコクのオフィス街にほど近い、ルンピニ公園。 時刻は18時40分。

どこからともなく短パンTシャツ姿のおばちゃん、お姉ちゃん、おじちゃんなどが集まってきたかと思うと、 いきなり広場に大音量でダンスミュージックが流れ、 壇上の先生の動きに合わせて皆が一斉にエアロビを始めた。 その数約1000人! 皆動きがこなれていて、難しいステップも難なくこなす。

サヤームからRAMA I通りを少し西に行ったところにある 大型スーパー、TESCO/LOTUS前の小広場。同じく18時40分。 ここでも同じように運動服姿の男女がいつの間にやら 集まり、エアロビを始めた。な、なんなんだこれは?

そしてウタイターニー、川沿いの運動公園。18時。ここでも最新のクラブミュージックに合わせて、 老若男女、約200人が一斉に踊りだす。

これは一体なんなんだ?とタイ人に聞いてみたら、政府主導で行っている国民健康運動なんだそうです。 夕方がエアロビ、朝が太極拳だとか。 なかなかモダンな政策じゃないですか! (そういえば日本にもラジオ体操ってのがありますね)

あまりに面白いので、旅の恥は掻き捨て・・・と私も参加してみたところ、翌日はお尻が筋肉痛になった。 かなりの運動量。 こりゃおじちゃんもおばちゃんも元気になりまっせ!

※写真は終了間際のストレッチの写真です。

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2006.04.09

マクドナルドのない街

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プーケットを離れてバンコクに移ってきました。

1年半前、タイで一番最初にできた友達がJちゃん。 彼女は当時観光学部の学生で、チェンマイの旅行会社に
インターンに来ていたところに私が現れたのがきっかけ。

その後兄貴のJや従兄弟のJなども紹介してもらい、年齢が近いこともあり彼らともウマが合い、一緒に酒飲みに
でかける仲になった。

さて、そのJちゃんは大学を卒業後、地元に戻り小学校で中国語の先生をしているのだという。タイの学校は2月から 4月までずっと休みなので、時間があるので遊びに来いと 誘われたがままに行ってみた。

行き先はウタイターニー。 バンコクからバスで北へ約4時間。
地球の歩き方では紹介を省かれている街なので、 日本人はまず行かない、というか外国人はまず行かない。

街の人口は約30万人。決して田舎街ではない。 だがマクドナルドがない。スタバもない。日本料理屋もない。
いわゆる外国人向けの店も、外国資本の店も一切ないのだ。

だからこの街で過ごした2泊3日の間、朝飯はタイ粥、 昼飯はぶっかけご飯、夜飯はレストランでトムヤムクン
といった感じで、タイ人に混じってタイ人と同じものを食べて過ごした。Jちゃんの家庭にホームステイしたような2泊3日だった。大感謝。

※写真は、ハリウッドを真似たかのようなウタイターニーの街のシンボル。現王朝の父にゆかりのある街、というよな意味だそうです。

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2006.04.03

タイ下院総選挙

今日はタイで、日本の衆議院に相当する下院の総選挙があった。一族が所有するタイ最大手の携帯電話会社の株売却に絡む脱税疑惑や、外国企業による株式保有の規制緩和などに絡む権力濫用の糾弾等により、首相への辞任要求が国民的高まりを見せる中、下院の任期を3年も残してタクシン首相が解散に打って出たものである。

これに対し野党は、財界票や多くの組織票を握る大与党と選挙で争っても勝ち目はないと見て、選挙のボイコットをチラつかせながら辞任要求運動を盛り上げ、選挙前までにタクシン首相を自発的に辞任させる戦略をとった。しかし運動は盛り上がったものの首相は辞任しなかったので、野党議員が立候補しない総選挙という、きわめて異例な選挙になっている(野党は白票を投じるよう指導している)。タクシン首相は与党の得票数が50%を切れば不信任とのラインを示し、ここが攻防戦だ。

もし与党の得票数が50%以上であれば、タクシン首相は留任し、議席の全てを与党が占める国会になりそうだ。50%未満であれば、他の者が首相指名をうけ、再度野党も入れて総選挙という流れになるのだろうか。

また仮にタクシン首相が権力闘争には勝ったとしても、国民の信を失っているため、今後の政権運営に支障は出るだろう。もしかしたら国王様が、事態収拾のために動き出すこともあるかもしれない。

開票結果は明日判明の予定。

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2006.04.01

ゲンチャ初体験

昨日はパトンビーチを離れて、島のビューポイントを探検することにした。ところがプーケットというのは意外と広く、縦長の島は縦に車で1時間、横に30分くらいの広さがあるので、徒歩ではままならない。METER TAXIは走ってないし、乗り合いバスも少ない。

そこで、こっちで言う「モーターサイ」、日本でいうスクーター(原チャリ)を借りてみた。一日300B(約900円)、デポジット代わりにパスポートを預けて借りる。

ところが私、日本の自動車の運転免許はあるけど、今までゲンチャに乗ったことがない。友人の中には、盗んだバイクで夜の帳を走り回っていた15才もいたけど、当時の私はとても純朴な少年だった。その後は誇りをもってチャリダーだったし。

でもそこらへんのオバちゃんだって乗るんだから、自転車とたいして変わらんと思うし、オートマだから大丈夫だよと店員さんも勧めるので、早速路上へ。おっかなびっくり右手を捻ると、チャント走った。むっちゃ簡単!アクセルの加減と曲がるときのハンドルや体重移動の感覚をつかんだら何の心配もなくなったので、遠出することにした。車と違ってハンドルを戻してもウィンカーが自動的に消えないので、左折ウィンカーを出しっぱなしで走り続けて何度もクラクションをならされたのには閉口したが。

で、これがものすごく楽しかった。
起伏の多いプーケットの道を走りながら、峠を攻めるというライダーの感覚はこんなもんなのかもなと納得しながら、カロンビーチ、カタビーチ、ビューポイント、そして最南端のプロンテット岬などをまわった。丘の上から見るプーケットの海岸線は、ハワイのダイヤモンドヘッドから見るワイキキビーチに勝るとも劣らず美しかった。これははまる。

ところでこのゲンチャ、時速70Kmで走ってもまだまだ快調。スピードメーターは140kmまである。そういえばタイヤだって、日本のスクーターに比べるとずいぶん大きいような。デザインがスクーターなだけで、もしかしたら、小型のオートバイと呼んでもいいものなのかもしれない。免許? マイペンライマイペンライ。

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