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2005.09.17

災害支援金拠出の正当性

neworleans

先日日本政府は、ハリケーンカトリーナの支援金としてアメリカに50万ドルの追加支援を行うことを決め、これで支援額は合計100万ドルとなった。大金のようだが、円価では約1億1000万円。インド洋大津波のときに5億ドル(約550億円)という大金をいち早く拠出したことと比べると少なさが際立つが、この金額の差異は今日の本題ではないのでさておき。

世界各地で災害が起きたときに、このように日本政府は「支援金」を拠出するが、この財源も税金である。日本国とは関係のないところで起きた災害に、日本国民の血と汗と涙の結晶である税金を拠出することはどのように正当化されるのだろう?
 
まず、日本国に税金を納めている、災害地に住む日本人や日系企業に対する支援というのは正当化しやすい。納税している以上、国内のどこかで災害が起きた場合の支援と同視できるからだ。このような一種の損害保険的な考え方は国の存在意義の一つであろう。

次に、世界中に日本人や日本企業も多数進出しているから、支援金を拠出することで海外の人たちとの関係が友好的になり、ひいては日本や日本人の利益になる、という考え方。

さらに、日本も災害の多い国だから、災害支援をしていれば、自分らが被災したときにも外国から支援金を期待できる、という考え方。いわば、国際的な損害保険的な発想。

上記の理由は、いずれも広い意味で国益にかなうという理由だ。国益にかなうと言えれば、広い意味で日本国民の信託に基づいた行政行為として正当化できるだろう。だが、たとえばインド洋大津波時のような5億ドル(約550億円)という支援額となると、費用対効果で考えれば割が合わなそうなので、国益にかなうと断言はしにくい。これだけの金額になると、国益ではなくて、「人道的」観点からの支援というべきであろう。

では「人道的」な、すなわち日本国民の利益には直接はつながらない支出はいかにして正当化されるか。換言すれば、人道的な支援を是とする日本国民の意思はあるのかどうか。
 
この一つの根拠となるのは、日本国憲法である。憲法の前文には、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」あるいは「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて・・・」とあるからだ。

だが、憲法を行政行為の直接根拠にするというのは、なんとも不安定である。被災者支援法の海外版でもあるのだろうか。この辺よくわからないのだが、いずれにしても、金額や規模はともかく、人道的な支出を是とする日本国民の意思はあると考え、これを根拠とすることになるのだろう。

納税者としては、毎年人道的観点から日本政府がどのような活動をどのくらいの予算で行っているのか、詳しく知りたいものである。胸を張って誇れることなのだから。何を見ればわかるんだ?外交白書?

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