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2005.07.26

隠れキリシタン発見!

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先日、祖父の墓参りもかねて祖母と母と3人で長崎に行ってきた。久しぶりに叔父さんや従兄弟に会い、そういえば自分には長崎の血が半分混じってたんだと再確認。そういえば電車で見る人々の顔が心なしか自分に似てる気がするのは気のせいか。

やっぱり長崎でも、ぶらぶらと一人街をぶらついていた。
長崎は港湾を囲むように小高い丘が連なり、丘の斜面に所狭しと家が立ち並ぶ街。だんだん畑ならぬ、だんだんハウスが丘を埋め尽くす様は圧巻だ。昼間はあまり美しくはないが、夜は100万ドルの夜景になる。民家の立ち並ぶそんな山の中腹を歩いていると、屋根が赤や青の龍の彫り物でに鮮やかに飾られた孔子廟が見えてきた。その奥には教会。ふもとには銭湯とタバコ屋。統一性のない景観が長崎らしいといえば長崎らしい。

この教会に立ち寄ってみた。1864年にフランス人によって建設された「大浦天主堂」というらしい。明治維新の4年前ですな。ここでなんと隠れキリシタンを発見した。

1865年3月17日、この天主堂に、キリスト教を信仰する日本人がやってきて、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねたのだという。日本は秀吉以来キリスト教は禁教で、江戸時代もキリスト教弾圧は過酷を極めていた。そんな中、キリスト教徒が日本にいた。彼らは、戦国・安土桃山などまだ布教が認められていた時代に信徒となった者から、実に250年もの間、表に出ることなく代々伝え聞いた信仰を守り通してきた人たちなのであった。いわゆる「隠れキリシタン」である。隠れキリシタンが250年ぶりにカミングアウトした瞬間であった。

考えて見れば、キリスト教の布教と植民地化の懸念、およびその反動というのは、日本の近世・近代を貫いた最大の社会力学であろう。銭形平次や暴れん坊将軍に見るような江戸下町文化の裏側で、常に時の治世者は植民地化されていくアジアを横目に日本国を憂慮していたに違いない。長崎の「隠れキリシタン」は、ある意味、時代を映す鏡だ。

 

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