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2005年5月の記事

2005.05.14

ダイヤモンドヘッド&ワイキキビーチ

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帰りにまたハワイに寄ってみました。
お昼の1時ごろ、ダイヤモンドヘッドの山頂からワイキキビーチを写した一枚です。この時間帯の海の色は本当に青い。

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2005.05.13

癒しの一枚

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サンディエゴ・シーワールドにて。

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2005.05.12

「シンコデマヨ」とメキシコ近代史

「シンコデマヨ」とはスペイン語で5月5日のこと。
サンディエゴ滞在中に「シンコデマヨ」のお祭りを各地で目にすることができた。タコスを食べ、コロナビールやマルガリータを飲み、マリアッチを聞き、おおらかにメキシコ文化を楽しむお祭りという印象。しかし一体なんでサンディエゴでメキシコの祭りを祝うんだ?

ということでウェブを調べてみたら、見つかった。曰く、メキシコのPueblaという街で、1862年にメキシコがフランスと戦って勝った記念日なんだそうだ。メキシコ系住民の多いアメリカの各地でもお祝いされているらしい。

しかしメキシコがフランスと戦ったってどういうことだ? これは初耳だ。上記ウェブを読んでいくと、世界史が見えてきて非常に興味深い。ざっとまとめると、メキシコがスペインからの独立を勝ち取ったのが1821年、その後内乱やアメリカとの戦争(1846-1848年)などもあり、メキシコの経済は疲弊しきっていて、スペインやイギリスやフランスに対して大きな借財を負っていた。フランスはメキシコへの支配力拡大を狙っていて、メキシコがついに債務の支払いを放棄すると、ナポレオンの親戚にあたる者をメキシコの統治者として任命し、戦争になった。戦争は上記Pueblaの戦いなどメキシコの善戦もあったものの大軍を送り込んだフランスの勝利に終わった。が、フランスの支配も、その後国内の南北戦争が終わったアメリカが、フランスを追い出すべく軍事的にも政治的にもメキシコを支援したこともあり、1864-1867の間しか続かなかった。

スペインの植民地支配、アメリカとの戦争、フランスの侵略・・・メキシコという国も相当世界史の荒波をくぐり抜けてきた国なんだ。

 

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2005.05.11

スイスという国

サンディエゴでは、飛び込みで英語学校に通ってみた。毎週月曜日が入学式で、入学も一週間単位、というような語学学校は探せばけっこう見つかる。

一応テストを受けて配属された私のクラスは、韓国人が3人、日本人が私も含めて2人、スイス人(独語系)、スイス人(仏語系)、ブラジル人が各1名の計8名という構成。授業の質もまずまず良かったが、何よりも良かったのはこの多彩なメンツだ。スイス人と会うのは初めてかもしれない。

短い期間だったが、スイスについていろいろと聞いてみた。
まず言語について。スイスでは地域によってそれぞれドイツ語、フランス語、イタリア語が話されており、3つがすべて公用語らしい。法律や行政文書などは3ヶ国語で書かれるのだそうだ。

次に金融について。スイスといえば「スイス銀行」が有名だが、「スイス銀行」という特別な銀行が存在するわけではないという。一般に我々がマネーロンダリングに使われると想像する「スイス銀行」は、スイスの銀行法のもとで設立されたスイスの銀行全てを意味すると考えてよいようだ。「スイスの銀行は世界的に有名だけど、いったい何がすごいの?」という問いに対しては、(1)匿名口座がつくれる点、(2)つい数年前までスイスは金本位制を取っていたため信用度が非常に高い点、の2つだと教えてくれた。

そして軍隊について。スイスは徴兵制をしいていて、男子はみな軍に従事する義務があるのだという。さらに、いつでも従軍できるように家庭に銃を保持する義務があるのだとか。

情報の真偽については、お互い第二外国語で話していること、話を聞いたスイス人もその専門ではないこと等の点を差し引いて判断してください。

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2005.05.05

ティファナの夜

泊まっていたホテルのドアの外でドンドンとドアを叩く音がして起こされた。時計を見ると朝の5時半。私の部屋ではなかったが、何度も何度も繰り返しドンドン叩いている。遊びまくってきて朝帰りだろうか。しかしそれにしては中の友人を呼ぶわけでもなく、5分も10分もひたすらドアを叩いている。次に俺の部屋に来たらどうしよう。なんだか怖くてベッドの中で身を固くしていた。

そのとき、突如「パーン、パーン、パン、パン、パン」と5回、銃声とおぼしき重い金属音が聞こえた。外の革命通りだ。そしてすぐにパトカーのサイレンが聞こえた。恐る恐る窓から外を覘くと、前の広場がなんだかざわついている。生の銃声は初めてだ。とりあえず事情はよくわからないが非常事態かもしれない。

ドアの鍵を再確認し、何があってもドアは開けないと心に決め、耳を澄ましじっと事態の成り行きを見守った。

しばらくすると、外ではまた普段に戻ったかのように、二人のトランペッターと男性デュオのバンドが陽気なメキシコ音楽を奏ではじめた。こんなのは日常茶飯事なんだろうか。とても長く感じた時間だったが、時計を見るとまだ15分もたっていない。

いつしかドアを叩く音もやんでいた。1時間もすると外も朝の賑やかさにあふれ、非常事態が去ったことがわかった。しかし部屋の中が一番安全だと考え、念のため昼まで部屋にいた。結局、ドアを叩く音と銃声は何の関係もなかったんだと思う。しかしティファナって街は。。。

地球の歩き方の記述を見てみよう。

「気軽にメキシコ情緒を味わえる町。一方で、合法、不法を問わず、豊かなアメリカへの入国を試みる人々の基地として急成長し、現在では人口150万人を超えるといわれる。陽気な店のおじさんとのかけひきや、マルガリータを飲みながらマリアッチに耳を傾けたりと、自分なりの異文化体験を楽しもう。」

これを読む限り、お手軽にメキシコを楽しめる街、という以上の印象はもてないだろう。
だが、アメリカに戻ってから新聞やウェブで調べてみた。すると、いろいろ出てきた。近時特に残忍なドラッグディーラーがアメリカとメキシコの国境沿いに拠点を増やしており、ティファナもその街の一つであるとか、2005年の4月に入ってからティファナ市長の息子が暗殺されたとか等々。そして私が聞いた銃声。

地球の歩き方以外の情報源が必要であることを、身をもって学んだ。

もしティファナに行くなら、サンディエゴから日帰りで十分。東京から横浜に遊びにいくような感覚で行けます。

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2005.05.04

陸路国境越え メキシコ・ティファナ

サンディエゴでの最初の週末は、国境の街、メキシコ・ティファナに行くことにした。

サンディエゴのダウンタウンから路面電車(トロリー)に乗ること約40分。乗り換えなしで、アメリカ側の国境の街San Ysidro(サンイシードロ)に着いた。サンイシードロは、駅前にマックもあり、気軽にサンダルでも来れるようなところ。徒歩組はここからメキシコに歩いて渡る。野球スタジアムの3階席まであがっていくときに長くジグサグに続く緩やかなのぼり坂をずっとのぼっていくが、あんな感じで通路を登り、横断しているハイウェイをまたぎ、降りて鉄棒をくぐったらそこがメキシコ。パスポートも不要だった。

案内所でティファナの地図をもらおうとしたら、一枚1ドル(米ドルが普通に使える)。地図が無料でないところに、いきなりのメキシコの洗礼を浴びた気がした。

そして所狭しと立ち並ぶのは、「FARMACIA」「PHARMACY」(薬局)「DENTIST」(歯医者)の看板をかかげるお店の数々。ティファナの入り口には、ほとんどこれらの店と、みやげ物屋と食べ物やしかない。メキシコの方がアメリカより薬類が2-3割安いという内外価格差に目をつけた、アメリカ人向けのお店の数々である。

細いドブ側のような川をまたぐと、革命通りに出た。もともと一泊のつもりだったので、その辺で一番目立っていた革命通りの入り口の「ホテルネルソン」にチェックイン。地球の歩き方にも載っていた宿なので、まあ大丈夫だろう。

革命通りはティファナ一番の繁華街。ショーパブがずらりと並んでいるさまを考えるに、小金を持ったアメリカの男性が手軽に遊びに行く街でもあるようだ。大音量で音楽を流すバーやディスコも多数ある。一応インターネットカフェもあった。ちゃんと日本語フォントが使える設定になっていたのは驚き。他の客は旅行者というより、ゲームを楽しむ地元民だな。

みやげ物屋で革財布を見つけた。値段を尋ねたら45ドルだという。いらないと言うと「じゃあいくらなら買う?」 10ドルと言ってしぶっていると、38ドル、30ドル、25ドル、18ドルと見る見る値が下がる。それでも要らないので店を出たら、10ドルでもいいと店主が店の外まで追いかけてきた。でも買わなかったので店主は少し怒っていた。けど怒鳴りつけたかったのはこっちの方だ。適正価格はいくらやねん。だがよくよく考えるに、需要と供給がマッチする点に価格が決定するメキシコ方式の方が、あらかじめ価格が決まっている先進国方式の方より資本主義的だ。商品には適正価格が存在すると考える私の方が固定観念に捉われていて、彼は別に理不尽でもなんでもないのかもしれない。

夕食はその辺のレストランに入った。コロナビールが1本US99セント。小さなタコスが3ヶで同じく99セント、というのは安い。スペイン語で書かれた壁の張り紙を見て、魚のフライ(のようなもの)をオーダーすると、明日は日曜日で店が休みだから品切れだという。仕方なくビールとタコスのみの夕食となったが、翌日この店の前を通るとちゃんと開いていた。こいつらがアバウトなのか、私が聞き間違えたのか。いずれにしても英語が思ったより通じない。タイの屋台のおばちゃんの方がマシかもしれない。


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2005.05.03

サンディエゴパドレス vol.1

早速メジャーリーグ観戦に出向いた。行き先はPETCO PARK、サンディエゴ・パドレスの本拠地である。対戦相手はロサンゼルス・ドジャース。なおパドレスには元近鉄・中日の大塚選手が、ドジャースには元近鉄の中村選手が在籍している。

12ドルを払って得た内野三階席からの景色はこんな感じ。

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ついでに外野のフェンスはこんな感じ。弧ではなくて思いっきり直線で結んであるので、かなり不公平な感じもするが・・・。

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ちなみに試合の方は、パドレスが終始余裕を持ってドジャースをリードする展開。これでは残念だがセットアッパーの大塚選手の出番はなさそうだ。しかし、せめて中村選手を代打で見たい。どこにいる?

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光学12倍ズームのカメラで撮ったこの映像をさらにデジタルで4倍に拡大して見たが、ノリらしき人物は見当たらず。残念ながら結局この日はノリの出番はなかった。せめてどちらかを写真に収めて帰りたい・・・探すこと10数分・・・。

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いた!!! 大塚投手発見、捕捉しました!!!(一番後ろの人)


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2005.05.02

サンディエゴ到着

タイから戻り日本にいたのもつかの間、今度はアメリカはサンディエゴに来た。今回の目的は英語の勉強とバカンスと花粉からの逃亡。オフシーズンで航空運賃は安いので、アジア圏とアメリカくらいなら気軽にいつでも飛べる。期間は4/20から3週間。

サンディエゴは、アメリカ・カリフォルニア州の最南端の街。ここからメキシコまでは電車で40分という位置にある。住民のかなりの割合がメキシコ系で、街でも普通にスペイン語が飛び交っている。バスや電車の掲示は英語とスペイン語が併記。太平洋に面しており、周辺には美しいビーチがたくさん。気候は温暖で日中の気温は一年中15-25度くらいだという。

とりあえず、ユースホステルを宿と決め、ネット環境を確保し、コンバースなんちゃらという語学学校に、一週間のビジネス英語のコースを申し込んだ。今回の旅は、どんな発見があるだろう。


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