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2005年1月の記事

2005.01.29

渡航準備

ハワイ行きのチケットを取った。UNITEDで往復49800円。シーズンオフのお得感に浸っていたら、送られてきた請求書を見ると約7万円になっている。なんじゃこりゃ!内訳を見ると、チケット代の他にアメリカの空港使用税が6110円とある。成田でさえ2000円だというのに、何考えてんだこの国は。

続いて海外渡航保険料が9480円。なるほど格安航空券会社は、こういうところで1件あたりの利益を増やしているわけか。残念ながら私は年会費3000円の高級?クレジットカードに入っていて結構な金額がカバーされているので、会社には悪いがあっさりと切捨てた。海外渡航専用の保険とクレジットカードに付いている渡航保険の違いは、大きなところでは疾病死亡時の給付の有無と救援者費用の金額くらいだ。ハワイ30日にそんなの必要ない。

そんなこんなで飛行機代が結局約6万円。授業料が600ドル、滞在費を1日$40として計$1200。ハワイ一ヶ月語学留学の総費用はざっと30万円というところか。


ハワイの大学からは、入学許可証が届いた。「詳しい時間割は同封のスケジュールをご参照ください」っていうけど、スケジュールが同封されてない。まあ、このくらいのいい加減さは嫌いじゃない。

後は念のための国際免許か。昔は申請時に「無犯罪証明」を添付する必要があって、交付まで一週間くらいかかったらしいが、最近では即日交付されるらしい。

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2005.01.26

二日目

8時30分起床、9時キックオフ。
今日はこれまでもらっていた名刺の整理をした。名刺の名前や社名を眺めながら、6年間の社会人生活でいろんな人と出会ってきたな、と深い感慨にふける。この人は事業がまとまったら連絡取りたいな、この人には何もない今の段階でも知らせておきたいな、などと分類していると気がついたら11時。時間使いすぎた。

そして昨日に引き続き中国サイトの物色。現在の為替相場で計算する限り日本国内との価格差は歴然としているので、あえて卸を探さずとも小売から仕入れて充分に利益が出る。けど、あんまりコンテンツがないんだよな・・・なんて思いで物色していたら、昨日発注したショップから商品が27日には届く旨メールが来ていた。中2日で中国から物が届くなんて、むかし俺が運営してたECショップより早いじゃん。日本から日本国内への発送だったんですけど。

ランチは、お米がなかったので家にあった小麦粉と納豆と卵でパンケーキもどきを作った。油断していたら焦げてしまったので、仕方なく醤油と七味唐辛子をたらふくかけて味をごまかした。鉄人への道は険しい。

一方、外人向けに売れる日本のコンテンツもあるはずだ、と日本の商品も物色。電化製品などは競争力がありそうだが、電圧や英語の説明書の有無や製造物責任の問題など、事は簡単ではない。アニメコンテンツも既に相当出回っちゃってるし、だいいちこの分野は全く詳しくないか無理だ。気長に探そう。


そして今晩も9時から飲み会。しばらくこんな生活が続きそうだ。

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2005.01.24

フリー初日

退社後の最初の月曜日。今日から本気モードで稼ぎにいくことにする。

オフィスは自宅。ノートPC、ソファ、BGM、コーヒーの4点セットが私の同僚。スーツはいらないし通勤時間もゼロなので、8時におきたが8時30分にはキックオフできた。

とりあえずの収益の柱は、海外商品を日本市場で販売することを考えているので、今日のミッションは売れそうな商品の開拓だ。これはどうだ?という商材を少しずつ買い集め、ネット販売でテストマーケしてみて、脈がありそうだったら規模を大きくするつもり。ひたすらネットサーフして商品を探し市場性を検討する。

14時ごろハーフタイム。タイで買ってきたインスタントラーメン(5バーツ/15円)を作って食べる。辛い。だがなんか楽しい。

結局、米英仏独中泰の6カ国のショップをウェブサーフして、3万円分くらいのお買い物をした。国名を並べるとそうそうたる顔ぶれでまるで国連の常任理事国だ。もちろん英語以外の言語はろくにわからないけど、翻訳サイトなどを使えばなんとかなるもんだ。それでもわからない場合は・・・「えいやっ!」と勢いで前進!!!  17時30分に試合終了。ソファにうずめっぱなしだった身体は楽だが、精神的にはけっこう疲れた一日。

今晩は知り合いと飲み。これまではただの「飲み」だったのが、これからはビジネスチャンスを膨らますための意見交換の場でもある。こういう自分の意識面の変化が、何よりも一番嬉しい。

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2005.01.23

最終出社

昨日は最終出社日だった。
心の整理はとっくに済んでいるとはいえ、意外とたんたんとしている自分が不思議だったが、机を整理しPCを全削除し、定時をむかえた。フロア全体に向けて「夢の実現に向けての退社です」と挨拶すると、元部下の女性が花束をくれた。続いてプレゼント。実は何をくれるのか、ちょっと楽しみにしていた。

包みから出てきたのはタカラの「人生ゲーム」。子供の頃遊んだボードゲームのあれ。しかもその「ブラック&ビター版」で、副題に「人生もっと高い山あり、もっと深い谷あり」とある。センスとタイミングの良さに爆笑しながらも、応援してくれる気持ちを感じてすごく嬉しかった。ホントにいい部下達に恵まれてた、と思う。


退社と同時に、フリー最初の仕事が入った。アルバイト程度の仕事だけど、日本語文書の英語翻訳。なんか幸先いいぞ。
けど俺、これから英語勉強しにハワイに行くんだけど。いいのか?こんな英語レベルの奴に頼んで。


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2005.01.16

バンコクのモバイル環境 2004/12

今回の旅にはノートPCを持参した。外国人向けの安宿のあるところには必ずインターネットカフェもあり、30分30バーツくらいで利用できるのだが、やっぱりというか、持参したノートPCの接続はほとんどの店で許してくれなかったので、結構モバイル環境を求めて探し歩いた。情報シェアします。

* * *

1)スターバックスのホットスポット
 サイアムディスカバリーセンター4階のスターバックスにホットスポットがあった。カウンターで1時間150バーツのカードを買って利用する。ゆったりしたソファーと美味しいカプチーノを飲みながらのネットは快適だが、電源は貸してくれないのが残念。

2)A-One Inn
 国立競技場の近くにある1泊500バーツ程度(2004.12の繁忙期価格)のホテルの1階のサロンがホットスポットになっており、宿泊者は1日150-200バーツほどで24時間ネット利用可だった(無線LANカード持参のこと)。宿泊者でなくても利用可能な模様。場所も良いので今後重宝するかも。

3)モバイルカードのレンタル
 私は利用しなかったが、こんなサービスもあるようだ。32Kで1日428バーツ。 
 http://www.cannet-mobile.com/pctdatacard.html


 これ以外の情報をお持ちの方、ぜひコメントなどで書き込んでください。


#2004/12-2005/1のタイ放浪の記録は、ここでおしまいです。
放浪記アジア編の目次はこちら

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2005.01.15

津波と漁業、貧困

再びにバンコクに戻りBangkokg Post紙を開くと、たくさんの津波関係の記事の中にタイの漁村の記事があった。

「津波の被害を受けたタイの漁村では、運良く生き延びた人もなお二次、三次災害に直面している。すなわち、津波で船舶が全てやられてしまったので、まず漁ができない。タイ政府から補償金が出るが、小船一艘あたり約6万円、大きな船でも60万円程度なので充分ではない。さらに悪いことに、苦労してとった魚も売れない。なぜなら、水死体を食べた疑いのある魚など食べたくないと、消費者が買ってくれないからだ。実際にはほとんどの魚はプランクトンや海草や小魚を餌にするので人間など食べないし、仮に人間さえ食べるような大型の魚とて生きている人間ならともかく死体は食べない。だからこのような不安は根拠がないのだが、とはいえ消費者は、津波とは無関係の漁港であがった魚を選んで買っているようだ。」

なんとも寂しい話だ。
だがこのような例は、氷山の一角だし、タイはまだ国力があるからいい方だ。先日のアジア開発銀行の発表によると、津波の影響で世界中で新たに200万人が1日1ドル以下で暮らす貧困層となるらしい。内訳はインドネシアで100万人、インドで64万5000人、スリランカで25万人、モルジブでは人口の半数が貧困層になるとのこと。

こういった人たちをどう救うことができるのか。現実的な解決策が求められている。

P.S.
国際社会の人道的な「支援」を待つのではなく、国際社会というのは一種の保険制度のようなものだから、彼らは保険金の給付請求権のような「権利性」は持ち得ないのだろうか。どこかの国際法学者が、この「権利性」の論拠につき議論していないかな。

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2005.01.14

トレッキングツアーは盛りだくさん!

チェンマイの旅行代理店を覘くと、必ず勧められるのがトレッキングツアー。私も内容にはあまり期待せずに、一人旅ゆえ話し相手を求めて参加してみたが、なかなかどうして内容が実に素晴らしかった(写真)。

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タイの大自然


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丘の上に円になって鎮座する仙人群。なんか道教っぽい。


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山中の滝。


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食事が終わりキャンプファイヤー。空には何百、何千もの星。ここの山小屋で一泊。


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竹いかだくだり。かなり危ないが面白い。


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象の背中に乗って散歩。


これだけの内容で、1泊2日4食付で1100バーツ(約3000円)。一緒にいる時間が長いので、自然とドイツやイギリスからの旅行者とも仲良くなれます。

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2005.01.12

チェンマイの街並み

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年末を過ごすべくチェンマイ行きの飛行機を予約したところ、タイ人の帰省ラッシュと重なったのか、ビジネスクラスしか空いてなかった。痛い想定外の出費。さらに痛いことには、空港に向かう途中で交通渋滞に巻き込まれて、予定の飛行機を乗り過ごしてしまった。交渉の結果、なんとか3時間後の夜11時発最終便のキャンセル待ちへ。不安な時間を過ごしたが、ここはビジネスクラスが効を奏し、たった3人目のキャンセルで無事に席を確保し無事チェンマイへ。ついてないんだか、ついてるんだか。

チェンマイの街の中心は、お堀にかこまれた「旧市街」。旧市街には建築規制があるんだろう、3階立て以上の建物は見当たらない。散歩に適したとても和やかで落ち着いた空間になっていて、都市計画はかくあるべき、と勝手に気に入った。ショッピングセンターや高級ホテルなどは、旧市街の外に点在している。

チェンマイの遺跡として保存されていた建築の彫刻は、カンボジアで見たそれによく似ていた(写真)。特別目が肥えているわけではないが、遺跡や仏像、民族衣装、布地などに見るThaiやCambodiaやVietnamのアートはすばらしいと思う。

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2005.01.10

ムエタイ体験

災害の影響は、いたるところで見られる募金活動やカオサン角の安否情報の掲示を除いてはバンコクではほとんど感じられなかった。

私も何か手伝えることをしてあげたかったが、タイ語もわからず、特に技能もない私が被災地でできる活動などたかがしれている。むしろ二次災害に遭遇し迷惑をかける恐れもある。そこで、むしろ安全なバンコクやチェンマイで観光を続けることで、復興に必要な資金を間接的に提供することにした。

* * *

今回のバンコク滞在のメインテーマは、ずばり「ムエタイ」である。

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今年は180日間の海外滞在(放浪)を目標としているので、たまには海外でチンピラに絡まれることもあるかもしれない。そこで護身術の一つも身につけた方が良い。それに運動して近時気になるぜい肉を落としたいし、ムエタイにはビジネス的にもタイ最大のコンテンツとして大注目している。つまり一石三鳥なのだ。

そこで、バンコク到着の翌朝さっそく、カオサンの向かいの寺院の左裏手にあるムエタイジムで体験レッスンを受けた。受講生が私一人でマンツーマンだったせいか、これが想像以上に苛酷だった。

まず、やたらと重いチューブを使った縄跳びを20分ほど続ける。3分くらいで息が切れ、両肩がぱんぱんに張った。ストレッチに続いてパンチとキックの基本形を一応習うと、すぐにリングへ。ちゃんとバンテージを巻いてボクシンググラブもつけ、プロテクターを着けたコーチに向かって、ワンツー、蹴り5連発、ひざ蹴り、ひじ打ちなどをひたすら打つ。やったことのない動作ばかりでかなり楽しいが、それ以上にかなり辛い。特に蹴り5連発とか10連発なんてのを左右連続でやると、完全に私の肺は機能の容量オーバーで、しばらく動くことが出来なかった。続いて腹筋100回。そしてサンドバッグ打ち。約90分のレッスンが終わると、肩もふくらはぎも痙攣していた。結局この筋肉痛はこれから72時間続いた。

少しむちゃしすぎたか。

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2005.01.09

バンコク発災害情報

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写真:カオサン通りの警察署前に掲示された安否情報を眺める旅行者。

2004年の年末から10日間ほど、タイのバンコクとチェンマイを一人旅してきた。これから約5回にわたり、レポートします。

 * * *

私がバンコク入りしたのは、例のインド洋の大地震・大津波の発生した日の翌日。カオサン通りで英字紙Bangkok Postを眺めていたら、一面に掲載されていたプーケットの津波の写真を指差して西洋人が話しかけてきた。「俺は昨日ここにいたんだ。ホテルの2階まで津波が押し寄せてきて、家具につかまってぷかぷか浮いてたよ。」

日本国内の報道ではあまり焦点が置かれていないが、タイ1国に限っていうと、死者数約5000のうちの半数が外国人である(1月2日付けのBangkok Post誌の報道では、死者4812人のうち、外国籍の人は2407人)。日本人の犠牲者は今後増えてもせいぜい数十人だけど、スウェーデン人は全体で約2000人、ドイツ人も1500人、スイス人も600人の死者を出した模様。

要するに、それだけ多くの西洋人が、バカンスにタイやモルディブやスリランカに行っていたわけである。ちょうどヨーロッパは真冬で日照時間も短い時期。一方、東南アジアは乾季を迎え絶好の観光シーズン。クリスマス休暇も手伝い、大量のユーロピアンが太陽を浴びにアジアに訪れていた時期におこった災害だったわけだ。国際社会の、とくに民間レベルでの迅速で手厚い支援活動にはこういう背景もある。


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