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2004.02.14

マラッカの歴史と日本軍

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 マラッカの歴史を紐解くと、近世、近代のマレーシア史と世界史がそのまま浮かび上がる。
 1405年、スマトラの貴族パラメスワスが明に朝貢使を送り、永楽帝よりマラッカ国王と認められ、それまで小規模な土侯国があるだけだったマラッカの地にマラッカ王国が誕生する。マラッカは、北東季節風(12月から4月に吹くらしい)と南西季節風(5月から11月に吹くらしい)の中継点という地形的特性もあり、中国からインド、中東に至る海のシルクロードの中継地として発展する。

 1511年、大航海時代のポルトガルがマラッカを占領し、東進の基地とする。ポルトガルはマラッカ海峡を通過する船から強制的に10%の通行税を取り、大いに利益を上げたらしい。1641年、オランダがポルトガルを追い出しマラッカを占領する。その後1824年にはイギリス領となる。1941年には日本の占領下におかれ(マレーの虎・山下陸軍大将で有名)、第二次世界大戦後には再びイギリスの植民地支配下となる。1957年に独立するまで、実に400年以上もの間、マラッカは他民族の支配下にあったわけである。

 歴史博物館などを見てまわった限り、日本による4年間の統治に対する評価は次のような感じだった。すなわち、「日本のマレー上陸作戦の過程では多くの国民が日本軍に虐殺されたというのは事実である(赤ん坊を放り投げて軍剣で受けて殺す、なんて事実もあったようである)。また日本の治世も、それまでのイギリスの占領下とあまり変わらないいわyる植民地支配だった。一方で日本軍の唱えた「アジアのためのアジア」というスローガンは、マレーシア住民の独立意識を高揚させることに寄与し、また日本軍が当時無敵と思われていたイギリス軍を簡単に撤退させたことが、マレーシア住民に独立への大きな自信を与えたというのもまた事実である。」

 一般的に中国や韓国では「日帝による侵略戦争」という評価がされ、植民地支配下のプラス面の指摘など全然されない。ところがマレーシアでは、国立の博物館でこのように評価されている。ちょっと新鮮だった。

 

 

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