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2004年2月の記事

2004.02.18

愉快な旅人たち

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 写真は丘の上の教会にある聖フランシスコ・ザビエル像。1545年にザビエルはこの地から日本に向かったんだとか。そういえばペナンでも「聖ザビエル高校」というカトリックの高校があったし、以前旅行したベトナムでも神父志望の学生から、ザビエルを知ってるかと聞かれた。ザビエルって人は日本だけに来たわけじゃないんだね。

 マラッカでは「トラベラーズロッジ」というゲストハウスに泊まった。風通しの良いリビング・ダイニングがあり、自然と旅行者が集まってくるので、友達がつくりやすい宿である。実はここのオーナーは日本人の女性で、マレーシア人と結婚してこのゲストハウスを切り盛りしている。詳しく聞かなかったが、飾られていた家族写真などから判断するに、イスラム教徒のようだ。そのせいか、冷蔵庫に豚肉を入れるのは絶対禁止。お酒には割と寛容で持ち込み自由だったが、宿では提供していない。
 
 ここではいろんな人種からいろんな話を聞いた。忘れないうちにメモしておこう。
 まず、25才前後のスロバキア人。「スロバキア」と聞いてもどこだかピンと来なかったが、チェコスロバキアが分離してできた「スロバキア」である。旧東欧系なのでなんとなく貧しい国というイメージがあったが、ここで会った彼はむしろ逆。旅行好きで、日本にも2回行ったことがあるというくせに定職を持っていない。そのくせRADOの時計が好きで4つ持ってるとか、お母さんもタイをバカンス中とか話していたので、どうも家が金持ちのようだ。そういえば、若いくせに後退した髪の毛を気にして、後頭部の髪の毛を前頭部に持ってくる「ヘアプラント」もやったと言っていた。見映えは悪くなかったが、これが総費用20万円というのは、やはりスロバキア価格だ。
 この彼がいう。「俺はスロバキア人は保守的だし、良い人すぎて好きじゃないんだ。もっと都会的なドイツ人の方が好きだ。俺の祖母はドイツの人だったので、俺の体には1/4ドイツ人の血が入ってる。」「ドイツに帰化申請したが、拒絶された。祖父がドイツ人だったら帰化できたのに。」「スロバキアはオーストリア-ハンガリー帝国や、ナチスドイツの時代にはその支配下にあったから、ドイツとは関係が深いんだ。」 正直、知らないことばかりで彼の話は新鮮だったので、近くのスーパーでマレーシアの国産酒を買ってきて、二晩連続で飲んだ。けど、あんまり賢い奴ではなかったな。

 次に30才前後のスウェーデン人。彼は5週間休みを取って来ているというので、会社は大丈夫なのかと聞いたら次のような答えが返ってきた。「私たちの国では、労働者は法律上年間25日間の有給休暇があり、これは毎年必ず取れる。これに加えて年間25日間の無給の休暇を取ることもそんなに難しくない。だから5週間くらい全然問題ない。」 ・・・サラリーマンをするならスウェーデンだ、と心底思った。

 次にとあるマレー人。どこで出会ったかは話題が話題だけに秘密にしておこう。陽気で人懐っこい奴だ。ある日私が風邪をひいてしまい、彼に何か頭痛の薬はないかと尋ねたところ、フィルムケースを渡された。中には胡椒のような色をした粉が入っている。「何これ?」「マリファナだ」 ・・・なお、マレーシアでは麻薬所持は死刑らしい、念のため。

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 この宿は「地球の歩き方」でも紹介されており、日本人もちらほら見かけた。会社を辞めて一人旅、というのが2人いて、元証券マンからはどれだけ仕事が忙しかったか、という話をたくさん聞かされた。あとは日本人の女子大生2人組(写真)。このコたちは大学4年生で、卒業旅行でこれからインドに行くにあたりトランジットで数日マレーシアに立ち寄ったとのこと。女性でインド旅行、しかもバックパック旅行はけっこう大変だと思ったが、2人組のうち1人はとくにインドに魅せられており、前回は数ヶ月滞在してヒンディー語を学んだという。滞在最終日にレストランでちょっとの隙にパスポートやらカメラやら一式を盗まれてしまったというが、それでもまたインドに来るところがすごい。今回の旅は無事だったろうか。彼女らだけでなく旅先では多くの日本人に会ったが、日本人もけっこうたくましいです。

#2003/12-2004/1のアジア放浪記は、ここでおしまいです。
放浪記アジア編の目次はこちら

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2004.02.14

きれいなチャイナタウン! ~マラッカの祇園小路~

 バンコクのあるカフェで、「俺たち日本人は中国語は発音できないけど、漢字の意味はだいたいわかるんだよ」と、オーストラリアから来た女の子に話したときの彼女の反応が面白かった。「じゃああなたは日本語と英語と中国語が半分くらいであわせて2.5ヶ国語がわかるのね!」 中国語が半分わかる? 考えたこともなかった。が、確かに看板は読めるし、レストランのメニューの意味もわかるし、中国人と筆談で会話もできる。充分理解できてるじゃないか、そうか、俺は中国語がわかるんだ。これってもしかして結構すごいんじゃないか。

 世界中どこにでもあるチャイナタウンは、日本人旅行者にとってはなんとも心強い存在だ。現地食が口に合わなくても、チャイナタウンさえ見つけられれば、割と口に合うチャーハンやらスープやらで飢えは免れることができる。ところがこのチャイナタウン、どこに行ってもあまり綺麗じゃないのが玉にキズだ。多くがダウンタウンの狭いエリアに密集しているうえに、人が溢れ、夜は路肩に所狭しと屋台が立ち並び、そのゴミやら排水やらが道路を占拠する。これはバンコクでもペナンでもKLでもそうだった。あんまり散歩して心地よいエリアではない。

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 そんな私の「常識」を覆してくれるエリアがここマラッカにあった(写真)。「ババ・ニョニャ人」の住居エリアである(実は写真はあまり出来が良くない。本物はもっと情緒がある)。
 ここマラッカではマラッカ王国の建国以来、中国からの移民の文化と地元マレー人文化が融合し、「ババ・ニョニャ文化」と呼ばれる独自の文化が形成されてきた。彼らの住宅はかつてこの地を治めたポルトガルやオランダの建築様式も取り入れたもので、西洋と東洋の良いどこ取りをしたような気持ちのいい家並みが続いている。この通り沿いには、落ち着いていてセンスの良いホテルやカフェや、アンティークショップも並ぶ。家は間口は狭いが奥行きの長いスタイル。

 これに似たエリアをどっかで見たぞ・・・あ、京都だ、京都祇園そっくりだ。私は勝手にここを祇園小路と名づけ、滞在中お気に入りの散歩道としていた。
 
 

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マラッカの歴史と日本軍

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 マラッカの歴史を紐解くと、近世、近代のマレーシア史と世界史がそのまま浮かび上がる。
 1405年、スマトラの貴族パラメスワスが明に朝貢使を送り、永楽帝よりマラッカ国王と認められ、それまで小規模な土侯国があるだけだったマラッカの地にマラッカ王国が誕生する。マラッカは、北東季節風(12月から4月に吹くらしい)と南西季節風(5月から11月に吹くらしい)の中継点という地形的特性もあり、中国からインド、中東に至る海のシルクロードの中継地として発展する。

 1511年、大航海時代のポルトガルがマラッカを占領し、東進の基地とする。ポルトガルはマラッカ海峡を通過する船から強制的に10%の通行税を取り、大いに利益を上げたらしい。1641年、オランダがポルトガルを追い出しマラッカを占領する。その後1824年にはイギリス領となる。1941年には日本の占領下におかれ(マレーの虎・山下陸軍大将で有名)、第二次世界大戦後には再びイギリスの植民地支配下となる。1957年に独立するまで、実に400年以上もの間、マラッカは他民族の支配下にあったわけである。

 歴史博物館などを見てまわった限り、日本による4年間の統治に対する評価は次のような感じだった。すなわち、「日本のマレー上陸作戦の過程では多くの国民が日本軍に虐殺されたというのは事実である(赤ん坊を放り投げて軍剣で受けて殺す、なんて事実もあったようである)。また日本の治世も、それまでのイギリスの占領下とあまり変わらないいわyる植民地支配だった。一方で日本軍の唱えた「アジアのためのアジア」というスローガンは、マレーシア住民の独立意識を高揚させることに寄与し、また日本軍が当時無敵と思われていたイギリス軍を簡単に撤退させたことが、マレーシア住民に独立への大きな自信を与えたというのもまた事実である。」

 一般的に中国や韓国では「日帝による侵略戦争」という評価がされ、植民地支配下のプラス面の指摘など全然されない。ところがマレーシアでは、国立の博物館でこのように評価されている。ちょっと新鮮だった。

 

 

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2004.02.13

クアラルンプールと私

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 写真はK.L.のランドマークとなっているツインタワー。夜はこのようにライトアップされる。この建物は4階までが高級ショッピングセンターで、タワー部分はオフィス塔で国営石油会社が入居しているらしい。

 ショッピングセンターは、どこに行っても中国系の人でいっぱいだった。マレーシアの物価を考えるととても高価なのだが、よく売れているようだ。購買層はもっぱら中国系。夜、バーでお酒を飲んでいるのももっぱら中国系(マレーシアはイスラム国ということもあるのか、お酒は日本並に高い)。羽振りの良い中国系と、マレー系やインド系住民との所得格差は随分あるようだ。

 ところで、あまりにも見事に発展したクアラルンプールに、なんか私は不満だった。都会すぎるのだ。これじゃ東京にいるのとあんまり変わらない。国民の生活水準の向上を目的に、マレーシアも急速に国を近代化してきた。産業を興し、中産階級を誕生させた。そのため、国民の識字率も向上した。郊外に中産階級用の住宅や団地もつくった。交通網も整備した。ショッピングモールにはきらびやかな商品が並び、国民はまだやや高価なマイカーを大切に運転する。だがそんな政策の結果、クアラルンプールは東京と同じになってしまった。

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 豊かになったクアラルンプールに不満というのはなんとも身勝手だが、不満なんだから仕方がない。こうして私は私の欲求に気付いた。私は旅に期待しているものがクアラルンプールにないから不満なのだ。じゃあ何を期待してるんだ。非近代?? その通りだ。私は「近代」の人間があまり好きじゃないのだ。画一化されてしまっていて、小市民的な夢を持ち、保守的で、お金に右往左往する人間が。いや、他人じゃない。そんな近代のシステムからまだ逃げ出せ切れていない自分自身が嫌なんだ。どれだけ頑張っても、どんなに考えても、結局は自分は近代という巨大な檻の中で車輪を回して走るハムスターのように思えてしまう。起業? 政治家? 弁護士? 一見きらびやかで楽しそうなこんな活動も、次のクアラルンプールを作り出すだけなら何の意味がある? 
 どうも厭世的になってる。どこに向かって走ったらいいのか、人生の道すじはまだ見えない。

 ただ一つ確かなことは、クアラルンプールに長くいちゃいけないってこと。マラッカへ行こう。

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マハティール首相は偉大なり

 ランカウイにギャラリーペルダナという美術館がある。マハティール前首相夫妻に送られた各国要人からの贈答品が見事に並べられている。さすがに22年もその地位にあってマレーシアを引っ張ってきた人だけあって、贈答品の数も半端じゃないし、さすがに首相への贈答品となると最高品質のものを送るのだろう、すごく見ごたえがある美術館だった。隣国タイからの銀器や、中国からの陶器や調度品などが多かったが、日本のものも県重要無形文化財級の巨匠がつくった日本人形などが展示されていた。欧米のものが少なかったのは彼の外交姿勢の表れか。

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 マレーシアは多民族国家で、マレー系、中国系、インド系の人口比は約6:3:1。宗教はイスラム教が国教だが、中国系を中心に仏教、道教の信徒も3割程度、インド系を中心にヒンドゥー教徒も1割弱いるという。たまにキリスト教徒にもお目にかかる。このような国を一つの国としてまとめていくには、相当のリーダーシップが要求されるだろう。その点、日本の政治家なんてらくなもんだ。治世に失敗しても「xx地方が独立」なんて恐れはないんだから。

 このような国を22年にもわたってまとめてきたマハティールという人に非常に興味がわいて、ことあるごとに出会ったマレーシア人に彼のことを聞いてみた。驚いたことに、人種、宗教、年齢、性別を問わず皆が彼をたたえるのだ。ペナン島からのフェリーで一緒になったサミーさんは、60才くらいのインド系男性。「マハティールは我々を経済的に正しく導いた。祖国のインドなんてものごいばかりだ」とたたえる。中華系のアレックス、23才もまた、「彼のことはすごく尊敬している。彼のようなリーダーを持てて幸せだった」という。マレー系キリスト教徒、アンナ、30才もまた、「彼はいい仕事をしてくれた」と評価する。クアラルンプールのインド系知性派タクシードライバーの男性も、「いまでは我々はシンガポールさえ凌ぐ。彼は素晴らしいビジョンで我々を導いてくれた」と手放しでほめていた。また彼は、「この国は異民族間でぜんぜん争いがないのが自慢だ。他の国はすぐ対立したりするだろう」と誇らしく語った。

 一般に、その国におけるマイノリティは多かれ少なかれ政治に不満を持っているものだが、上記の通りインド系も中華系もほめる。本当にすごいことだ。

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ディスコでナンパ

 ペナンでの食事はもっぱら屋台だった。ある夜、私はチャーリー、トシ、そしてイタリア人1名(名前を聞くのだがいつも聞き取れないか忘れてしまう)を連れ立って屋台でサテやら福建麺やらをつまみ、その勢いでビールを飲みに中華料理屋を訪れた。マレーシアでビールを複数本頼むと、氷水をいれたバケツにぶっこんでテーブルに持ってくることが多い。ビールといえば生ビールか、冷蔵庫から出してきた瓶ビールを見慣れている私には、この「バケツビール」がテーブルの真ん中に陣取ってるのもなかなか風情があって良い。店によってはバケツで頼めば1本分無料とか、バケツ価格4本20RM(約600円)のような、バケツ単位のサービスを行っていて面白い。

 このイタリア人は、いわゆるトッティやバッジョのような我々が想像する典型的なイケメンイタリアンではなく、身長も165cmくらいで普通の男だった。こういうイタリア人もいることにチョット安心したが、そんなことは彼にはもちろん言わない。職業を聞くと、精神科医だそうだ。
 いつしか話は美人論になった。「イタリア人の女性はきれいな人が多い」とチャーリーが言う。「そうだね。けどイタリアの美人はみんなスノッブなんだ。声かけても相手にしてくれないよ。まあ美人なんてどこでもそうかな。」とイタリアン。「いや、旅行者に対してはみなさん優しいんじゃない? 少なくても旅行してる日本人の女の子は、特に欧米人に対しては丁寧に喜んで応対してると思うけどな」と私。「韓国人は?ダメなの?そんなの不公平だ!」とチャーリーは怒ってみせたがそこはお互い様なことは承知のうえ。イタリアンは、「そうなの?そういえば先日、ものすごい綺麗な日本の女の子を見たよ。今度日本の綺麗なコを見つけたら、絶対声かけてみよう!」 そういうと傍目にもわかるほどウキウキし出し、「じゃあ俺はそろそろ帰るね」と言い残して去っていった。たぶん早速日本人をナンパしにいったんだろう。単純なやつだ。だが愛すべきイタリアンよ、お正月休みも終わり、学生も試験勉強中のこの時期は、そもそも日本人旅行者が少ないのだヨ。

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 なんか飲み足りないので、トシと私はクラブにでも飲みに行くことにし、夜のペナンをぶらぶらとお店を探して歩いた。意外と簡単にそれらしき店が見つかった。黒で固めたやたら背の高いインド系の男たちがドアの両サイドを固めている。さすがに飛び込みで入るのは怖いので、私は、友達待ちなのか近くに一人でたたずんでいた中国系の女の子に声をかけてみた。けっこう可愛い、学生だろうか。アンジーと名乗った彼女は、「ぜんぜん大丈夫よ。ただ、ドレスコードがあるからそのカッコじゃダメね。ぜひ着替えて来なさいよ。待ってる。」 短パン・サンダルだった私たちは早速宿に戻り長ズボンにはきかえた。声をかけるとチャーリーももちろんついてきた。

 私たちが戻ると、アンジーは友達3人と一緒に既に飲んで踊っていた。友達もなかなか可愛くてセクシーだ。トシは興奮してあのコがいい、このコもいい、と品定めをはじめたが、残念なことにただでさえ彼は英語があまり得意ではないうえに、大音量でクラブミュージックが鳴っているのでぜんぜん会話ができない。いつしか彼は会話をあきらめ、一人で踊っていた。チャーリーはというと、話のきっかけをつかみあぐねているようだ。私はアンジーの隣に座る。アンジーは既にお酒がまわっていて、しきりと私にお酒を勧める。「私が半分飲むから残り飲んでね」とラムコークを持ってきて、実際に半分を飲み干す。それを3回。私もここで負けては日本男児の名がすたるし、可愛い彼女の勧めを断るのももったいないので、言われるがままに競争して飲んだ(どこの国の学生もやることはかわらないな)。「踊る?」彼女は私をダンスフロアに誘うと、ディスコナンバーの曲であるのにもかかわらず私に抱きついてきた。どうも好かれたようだ。羨ましそうな目でチャーリーとトシがこっちを見ているので、ウインクを送り、得意げになってみたものの、さぁこれからどうしよう。

 閉店の時間になると。一人の男が俺のところに近づいてきた。「俺はジョンソン。彼女は俺の女だ。連れて帰る。」 は?! 男と来ているなんて全然聞いてないぞ。驚いて彼女を探すと、彼女は既に店の外に向かって歩いていた。ちらっとこっちを向いて微笑んだところを見ると、間違いではなさそうだ。何がなんだかわからない。もしかしたらジョンソンも他の女の子と遊んでいて、俺はただその間アンジーの相手をさせられたのでは? きっとそうだ。狐につつまれたようだったが、それにしてもジョンソンもアンジーも発展的な遊びをする。ちょっとほっとしたような、残念だったような。隣でチャーリーとトシが、そうだろう、そうだろう、とニコニコ笑っていた。

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「ロバートキヨサキを知ってるか?」

 ペナンでは2人のマレーシア人と、1人の韓国人、俺、そしてもう1人の日本人の5人でつるんでペナン島中をドライブしてまわった。きっかけは、キトというマレーシア人(本当はアケッ A Keatという名前なのだが、俺が読み間違えてキトと読んで以来、皆にキトと呼ばれることになってしまった哀れな奴である)が私たちが泊まっていたゲストハウスに出入りしてて、おいしい屋台などを教えてもらううちに仲良くなった。キトが連れて来た友人はアレックスといい、共に中華系マレーシア人である。韓国人チャーリーと日本人トシは、ともに宿泊客。キトはフリーターで、アレックスは専門学校の英語と会計の講師なので、ともに時間の自由がきく。あまりに面白かったので、予期せず4日間もいた。

 ある夜、コンビニでビールやカクテルを買い込み、ビーチに並んで腰掛けた。夜風と星空とカクテル、なんとも贅沢だ。私はアレックスに起業の構想を聞いてみた。そう、アレックスはまだ22才だが、英語を完璧に操り、将来の起業を夢見るアントレプレナーなのである。ちょっとマッチョ志向で、毎日ジムに通い、いつも鶏のささ身やらゆで卵やらを持ち歩いているのにはちょっと参ったが。

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 (写真)「月を見ろ!」に反応した二人(チャーリーとアレックス)と、ちょっと反応が遅れた英語が苦手な二人(キトとトシ)。


 「ロバートキヨサキを知ってるか?」アレックスは言う。ロバートキヨサキ・・・どっかで聞いた名前だ。あ、金持ち父さんの著者だ。「Rich Dad ….?」「and Poor Dad, yes.キャッシュフローxx(私が聞き逃した)とかも書いてる」彼は続ける。「あの一連の本を読んで、僕は自分の人生を有意義におくるためには、起業が必要だと心底思った。」 驚いた。まさかこんなところで金持ち父さんの話が聞けるとは。「成功するビジネスに必要な6つのものって何だと思う?」彼の言葉に熱が入ってきた。ここは適当に相槌をうって、続きを聞きだそう。「良い商材と、市場と、忠誠心の高い顧客くらいかな」私は答えた。待ってましたとばかりに彼は言う。「6つの要素が必要なんだ。一つ目は・・・」彼は論理的に続けていくが、残念ながら私はその6つを全部忘れてしまった。彼は言う。「そこで、資本金がなくてもできるビジネスとして、私はMLM – Multi Level Marketingを考えている。マルチレベルマーケティングをどう思う?」 MLMかぁ。あのネズミ講の類の奴だな。けど私だってマーケティングビジネスに何年も携わっており、MLMに理論的検討くらいは加えたことがある。忌み嫌うわけじゃない。「MLMチャネルがあるので、セールスや広告などの販管費がいらない分、商品の価格が安く抑えられるビジネスモデルだよね。人受けする独占商材と、忠誠心の高い顧客が確保できればうまく行くと思うよ。けどすぐ競合商品が現れるし、下手をすると友人・知人を全部失うよ。」 彼は我が意を得たりとばかりにうなずいて、言った。「そう。そこで僕は酸素ビジネスを考えている。すでにフランスのロンバルジェという会社と契約した。日本にも酸素バーがある? 家庭にはどう? え、松下の商品が出てる? それはどういう仕組み? じゃあロンバルジェのとは違うね。ロンバルジェのは機械はただみたいなもんで、酸素缶が一缶いくらというランニングで儲けるモデル。なんでも売り切りモデルよりもランニングモデルの方がお金になるんだ。10年前にミネラルウォーターのビジネスをはじめた人は、当初は有料の水なんて誰も買わないと思われてたけど大成功したでしょう? 今度は酸素だと思ってる。」

 なるほど、商品と市場は良さそうだ。後はMLMという販売手法になじむかどうか、か。 私はアレックスに、アマゾンコムのアソシエイトプログラムや飛行機会社のマイレージ制度の例をあげて、eMarketingやCRMのコンセプトを説明してあげた。実際、アソシエイトプログラムにはMLMの手法と一部共通点があるし、Frequent Customerの確保を図るという点も共通手法なので、何かの参考になるだろうと思ったのだ。彼はITの発想は全くなかったようで、驚いていう。「どこでそんなの習ったんだ?」「俺はIT業界に5年もいるんだぞ」 彼の目の色が変わった。私を認めてくれた証拠だ。彼が頭脳明晰で、人格的にも信頼できる人間であることは私もよくわかった。私は言った。「MLMはともかく、将来、日本とマレーシアで一緒にビジネスをやろう。Keep in touch!」こうして我々の間には、友情と、将来のビジネス協業の約束ができた。

 隣ではチャーリーとキトが、韓マレー比較文化論をたたかわせていた。面白い。数日で別れるにはホントに惜しい仲間だ。

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ランカウイ島のリゾートホテル

 ランカウイでは、バックパッカー旅にもかかわらず、一泊400リンギット(約12000円)のリゾートホテル(Tanjung Sanctuary Langkawi)に泊まった。24畳はあろうかというスイートルームで、バルコニーからはまばゆいばかりのビーチビュー、このビーチはプライベートビーチで宿泊客しか使えない。しかもホワイトサンド。自然に囲まれているため、猿がバルコニーを行き来する。ベッドは枕が横に3つ並ぶキングサイズ。
 実は昨晩、一泊35リンギット(約1000円)の安宿に泊まって街の様子を見てみて、この島はリゾートであることがよくわかってしまった。めぼしい史跡はなく、あるのはビーチとリゾートホテルばかり。政府も観光地化に力を入れていて、この島はDUTYFREEに指定されていて、ビールもコーラ価格(一缶2RM – 60円くらい)で飲める。それなら私もそういう楽しみ方をしようと、ちょっと高かったが、ここでゆっくり体を休めることにした。もはや学生ではない、このくらいの贅沢はしないと世の中に失礼だ。

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 12時にチェックインし、早速ホワイトサンドのビーチで泳ぎ、体を焼いて、また泳ぎ、レストランで軽食を取り、海辺でカニやウニと戯れ、また泳ぐ。夜は窓を開放しながら泡風呂にゆっくりと浸かり、買い込んで来たビールとミックスナッツをつまみながら、持ち込んだノートPCでDVD鑑賞。あ、たまった洗濯も。そしてゆっくりと読書。翌朝はゆっくり起き、ホテルのビュッフェを美味しくいただいて再度泳ぎ、体を焼いて、12時ピッタリにチェックアウト。
 けどリゾートに一人で泊まるもんじゃない。こういうところには彼女と来たかった。私はそそくさとこの島を後にし、ペナンへと向かった。

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マレー半島を南下

 今回の旅でニュージーランドに寄ることは断念した。一つの理由は、バンコクからでもやはり往復で8万円くらいすること。これなら日本からの格安航空券の方が安い。もう一つは、これまでもバンコクで随分イギリスやオーストラリアから来たバックパッカーとしゃべったが、英会話が目的ならバックパッカーがいるところなら英語圏でなくても問題ないことがわかったこと。その上マレーシアは共通語が英語だ。さらに、ニュージーランドではマリンスポーツやトレッキングを楽しむつもりだったが、こういうのは一人ではつまらない。彼女や友人と来たほうが楽しいであろうこと。そんなこんなで、あえて旅を急いでニュージーランドに行く魅力がなくなってしまい、マレーシアに長期滞在することにした。後から考えるとこの選択肢は正しかったと思う。

 年越しカウントダウンをバンコクの王宮前広場で迎え(どうってことはなかった)、一応バンコクでやり残したことはなくなったと考え、私は1/1発の夜行バスでマレーシアに向かうことにした。素直にクアラルンプールにいっちゃうのもつまらないので、まずタイのサトゥンという港町までバスで行き、サトゥンからマレーシアのランカウイ島へ、フェリーで国境を渡ることにした。道のりは苛酷だった。

 17:30 バンコク →05:30 スラターニー  一列4人がけの大型バスで移動
 07:00 スラターニー →11:00 ハジャイ  11人乗りバンに13人を詰め込んで移動
 11:30 ハジャイ →12:45 サトゥン市内  11人乗りバンに11人を詰め込んで移動
 12:45 サトゥン →12:55 サトゥン港   8人乗りくらいの乗り合いバス
 13:30 サトゥン港 →14:45 ランカウイ港着  フェリー

 しめて所要21時間15分。特にスラターニー以降は、座席スペースも狭く、途中の休憩や乗換えはあるものの、何時にバスが出るのかよくわからないし英語もあまり通じないので、バスを一本遅らせて休憩するなんて技も使えず、バスチケットを運転手に見せながら、連れてってくれる場所をただただ信じてついていくしかなかった。荷物が盗まれないように四六時中気を張ってたこともあり、後半は胃が痛くなった。あまりお勧めできるコースではないが、後からいろいろ聞くと多かれ少なかれバスで南下する人は同じような経験をしているようである。
 ただ、すごく良かったことが一つある。夜の3時か4時くらいだろうか、バスの窓からふと西南の空を見たら、北斗七星が大きく、はっきりと輝いていた。考えたらここんところずっと都会ぐらしなので、星空など久しく見ていない。北斗七星だなんて、最後にいつ見たかさえ覚えていない。それを、予期せずタイの空で見た。私は飽きもせず、ずっとこの空を眺めていた。


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カンチャナブリーの夕陽

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 バンコク北西の街、カンチャナブリーで取った写真だ。クワイ河に沈む太陽をゲストハウスから写した。
 バンコクの大地には、タールのような黒さがある。燦燦とオレンジ色に燃える太陽さえ、一筋の光も残さず大地に沈んでいく。その様は、あたかもタールの海に沈んでいくかのようだ。
 
 カンチャナブリーへは、ダイスケとカオリという二人の日本人と一緒に行った。このダイスケは、実は韓国で一緒に飲んだダイスケと同一人物である。彼は一度ソウルから日本に戻り2日間仕事した後、こんどはバンコクに来たのだ。待ち合わせ場所も決めてなかったので、会えるかどうか心配していたが、なんのことはない、私がカオサンの寺院裏のオープンカフェでネットをしていたら、なじみの顔が通りのむこうからやってきた。カオリはカオサンのゲストハウスで知り合った。動物病院の看護婦だったが、病院をやめて一人旅に出て既にラオス・カンボジア・マレーシアをまわり、今度はミャンマーに行くというツワモノ。二人のおかげで年末年始はにぎやかだった。

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父からの助言

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 HISバンコク支店が主催するアユタヤ夜景観光ツアーに参加してみた。さすがHIS主催だけあって、参加者はみんな日本人で、小学校の先生ご夫妻と、定年後夫婦の2組と私の総勢5名だった。17時にミニバンでバンコクを出発し、ディナーを食べ、ライトアップされたアユタヤ遺跡を車内から見て、21時ごろバンコクに戻るというなんともお気楽なツアーである。参加者の年齢が50-60才と若干高かったが、これはこれで普段とは全然違う話が聞けて楽しい。うち1名の小学校で音楽を教えているという加藤さんは、まだ1ドル=360円の頃からバックパッカーで世界中を巡った人。「旅行の最終日くらいしかビールが飲めなかったよ。お金がなくて」と笑って話していた。旅行だけじゃない、ロックバンドを組んでCDを出すは、スノボやマリンスポーツもするは、徹底した趣味人。「小学校の先生は、まるまる毎年40日夏休みが取れるんだぞ」と自慢していたが、その分趣味への出費もすごく、実際の生計は奥さんの収入(奥さんも教員)でやり繰りしているらしい。奥さんは控えめな方だったが、趣味人の加藤さんと一緒に過ごしていることにすごく満足しているようだった。よいご夫婦だ。

 その加藤さん、私が会社から1ヶ月の休暇を勝ち取って一人旅していることがいたく気に入ったらしく、「こういう人が評価される国になると日本も面白いのにね」と、自作のCDをくれた。帰ってから早速聞いてみると、これが抜群に面白いのだ。
一つ気に入ったのを書いてみる(彼のバンドメンバーの作詞のようです)。

 ■父からの助言 1 ~ナウシカの好きな娘へ~

 娘よ お前がもし夜遊びの帰りに
 運悪く生活指導の先生に捕まって
 名前を聞かれたら
 「ナウシカだ」と言ってやれ
 住所はと聞かれたら
 「風の谷」と言い
 学生かと聞いたら
 「王女だ」と答えよう
 なぜこんな夜に一人で
 歩いているのかと聞かれたら
 「昼間は瘴気でいっぱいだ」と言おう
 どういう意味かと尋ねたら
 「腐海はそこまで来ており森や虫たちは
 悲しみに満ちている」と教えてやれ
 とにかく先生と一緒に来いと言ったら
 「私を苛めれば王蟲が怒り狂って押し寄せ
 この街や学校を潰してしまう」
 と警告しよう
 それでもしつこくまとわりつくなら
 メーヴェの白い翼に乗って 逃げよ

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最高級カシミアスーツを購入

 王宮前広場を歩いていたら、25才くらいの男性が話しかけてきた。「日本人か?ナカータ、イナモート!」 ちょうど私も寺を歩き回って疲れていたので、並んでベンチに腰掛けた。彼はタマサート大学で仏教を勉強しるんだそうで、手に仏教の本を持っていた。見せてもらうと、タイ語と英語の2ヶ国語で書かれていて、どうも仏教評論のようだった。「ワットポーには行ったか?」「いや、これからだけど歩いていける距離だよね」「実は今日は儀式がある日で、タイ人しか入れない。観光客は15時から。」さすがに仏教を勉強している人だけあって、その辺のことはよく知っている。おまけに、押し付けがましくもこの寺がいい、この寺はダメと、15時までの私のスケジュールを組んでくれて、タクシーの運転手に見せればわかるように、地図の上にルートを書き込んでくれた。「トゥクトゥク(三輪タクシー)なら3箇所まわって30バーツくらいだ」 そういうと彼は、手をあげてトゥクトゥクをつかまえて、価格交渉までしてくれた。外国人価格なら全部まわれば100バーツは取られるだろうから、すごく安い。「そうそうタイシルクを買うなら、ここは政府運営で安くて品質もいいからここに行け。地図に加えといてやる。」「バスチケットは買ったか?買うならTATがあるから、ここに行け。」 私は丁寧に礼を言って、握手をして彼と別れた。気持ちのいい奴だ。

 まず彼が紹介してくれた寺は、作られてまだ新しいが、Standing, Sitting, Recliningの三体の黄金の大仏が一ヶ所にまとまっている小さい寺だった。効率的だが、大して魅力があるわけじゃない。そのせいか観光客も数人しかいない。けど一応参拝だけしておこうと本堂に進んでいくと、一人の男性が「遠慮せず入ってこい。ただし靴は脱げ」と話しかけてきた。「どこから来た?」「なぜこんな観光客が来ない小さい寺に来てる?」 矢継ぎ早に質問が来る。私も急ぐ必要もないので、本堂の中で仏像を前にしながら、彼としばらく話すことにした。彼はタナーという名前で、年齢は30台半ばといったところ。保険会社に勤めていて、以前ドイツに住んだこともあるそうだ。タイの経済は良くない、失業率も定かじゃないが10%を超えてると思う、というので、日本もここ15年くらい不景気ですよと教えてあげたら驚いていた。彼にさっきタマサートの学生に書いてもらった地図を見せてみた。「VENUS? タイシルクのお店だろ? ここはいいよ。工場だから普段は小売はしないんだけど、年に1回、1週間だけ小売をやるんだ。今日がその最終日だよ。私も実は昨日ここでカシミアのスーツを作ったばかり。完全オーダーメイドで、一度会員になると次回からは電話でも注文できるし日本にも送ってくれるよ。シャツ、ベスト、ネクタイもついてUS$450だったけど、その価値は十分ある。日本で同じものを作ったら3倍くらいするんじゃないか?」 タイでUS$450といったらサラリーマンの月収と同じくらいなので、よく買ったなぁと思ったが、保険会社勤務でまずまず潤っているのだろう。普通のタイ人からいろいろと話を聞けたことに私は非常に満足し、彼とも握手をしてその場を後にした。

 次の目的地のVENUSは、ディスプレイ商品などもなく、殺風景な小さなお店だった。まあ普段小売はしないというのだから、こんなもんなんだろう。陽気な店員が話しかけてきた。「いらっしゃい。今日は年に一度の小売セールの最終日だよ。」 タナーに聞いたとおりだ。「うちのカシミアは最高級品で、普段はヨーロッパや日本なんかに輸出してます。」これもタナーに聞いたとおりだ。ちょうど一着スーツを作って帰ろうと思っていたので、まあここでもいいか。けどディスプレイもないと選べないな。そんなこっちの様子を見透かしたかのように、陽気な店員は択一法で攻めてきた。「色は黒と紺と茶とどれがいい」「ペンストライプと無地とならどっちがいい」「サイドベントとミドルベントとノーベントではどれがいい」 こうして、気がつくと色もデザインも決まっていた。まあ最高級カシミアだから、余計なデザインは不要だ。スタンダードなものでいいから、さしたる問題はない。「シャツ2枚とネクタイもつけて、US$450です」 ベストとシャツの違いはあるが、価格もタナーの言った通りだ。ぼられてるわけではなさそうだ。やはり予め情報を持ってると安心して買い物ができる。採寸もして、小売店じゃないからカードは扱ってないというので、近くのATMで現金を下ろして支払った。

 ・・・しかし、やっぱりUS$450は高くなかったか? 戻ってきてふと思う。ガイドブックなどを見る限りスーツはUS$150くらいが相場らしい。もしやはめられたか?! ・・・振り返って考えてみると、確かに出来過ぎている。タマサートの学生がお寺の入場は外国人は15時からだからとタクシーを手配してくれなければVENUSというお店に行くことはなかったし、小さな寺でタナーに話を聞かなければ、VENUSでこんなに簡単に買うこともなかっただろう。もし全員はじめからグルだったとしたら? 大きな寺では誰だか区別がつかないので、観光客の少ない小さな寺をわざと選んだのでは? タマサートの学生が仏教の本を手にもっていたのは、私を安心させるためだけだとしたら? タナーに会ったのは偶然ではなく、学生がタナーに電話して寺で待ち伏せさせていたとしたら? タナーもいかにも偶然を装って、さりげなくVENUS情報を私に吹き込んだのだとしたら? 実は「年に1回のセール」は毎日行われてるんじゃないか? カード決済をしないというのも、キャンセル防止が目的じゃないか? ・・・そうだ、私はやっぱりはめられたんだ。しかし巧妙すぎる!!! 
 しかし、学生もタナーも、仏を題材に、仏の目の前で私をはめたわけだ。彼らはきっと死後畜生道に落ちることだろう。

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2004.02.12

イギリス人の味覚

 せっかく海外に来た以上、現地人がいつも食べるものを食べたい。ただ私は意外とお腹を壊しやすい体質で、もし下痢にでもなって、それが飛行機やバスでの移動中にでも起こった日には悲惨の一言である。一度ベトナムでバスで移動中に立ち寄った食堂の脂っこい中華料理にやられ、90分もの間、太ももをつねって押し寄せる波と戦いながら、ただただ神仏に祈った苦い経験があるので、最近では対策は徹底している。現地の水は絶対に飲まないのはもちろん、氷も避ける。なんぼペプシがぬるくても、我慢してぬるいペプシを飲む。屋台で食べるときはナフキンやウェットティッシュで手とスプーンとフォークを拭ってから食べるし、移動日の前日は危険なものは食べない。 
 ただ、それは限られた時間で旅を楽しまなくてはならない会社員型の旅行での話だ。今回の旅は予定なんかないから、腹を壊したら一日苦しめばいい。だから今回は遠慮なく屋台で食べ、氷入りのペプシを飲んだ。幸せ。

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 ディナーセットつきのタイ舞踊のショーを一人で見に行ったときのことだ。たまたまイギリス人の女の子2人組と相席になった(写真)。左の子がローラ、20才。右の子がカーラ、18才。半年くらいオーストラリアでワーホリで果物摘みをするそうで、その途中にバンコクに立ち寄ってみたんだとか。ペプシの味がイギリスと違うとか、ウォッカペプシ(彼女たちが普通に注文してたけど美味いのか?)のウォッカの量が多すぎるとか、ベッカムを知ってるよとか、他愛もない話で盛り上がったのだが、驚いたことに彼女ら、6品あったディナーセットにほとんど手をつけてない。「濃いし辛いしぜんぜん口に合わないの。」 私はというと、さすがは高級店のセットメニューと喜んで全品きれいに平らげたのだが、味覚がぜんぜん違うらしい。「私たちはPlain Foodが好きなの。調味料をあまり使っていないものが。」「例えばどんな?」「Vegetablesとか」「Fish and Chipsは?」「大好き!」 あれ、ジャンクフードじゃん、というと苦笑いしていた。じゃあイギリス料理ってどんなの?と聞いてみたら、インド料理とかアフリカ料理とか、旧植民地から移住してきた人たちが作る料理がいっぱいあるんだそうだ。それはイギリス料理じゃなくてインド料理じゃないかと思うのだが、これがかつては世界を治めた大国の国民の発想なのかもしれない。まあインド料理にしてもパサパサしてて私はあまり美味しいとは思わない。イギリス人の味覚ってホントに日本人とは違うんだと痛感すると同時に、イギリス旅行の優先順位が少し落ちた。けど、いい子達だった。一応今でもメルトモだったりして。

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2004.02.11

日本人は仏教徒? Vol.1

 バンコクの宿はとりあえずカオサンのどこか。8年ぶりのタイだが、ここに来る度に、カオサンエリアはまるで西洋人の植民地だ、と思う。西洋人向けの宿やレストランやみやげ物屋が並び、生活は英語だけで事足りる。道を行く人の多くは西洋人で、我々日本人に比べればゆっくりと旅を楽しみに、というかリゾートに来ているような人が多く、昼からカフェでビールを飲み、プレミアリーグのサッカーか西洋映画を見ていたりする。もちろん日本人(これは西洋人と違いほとんどがバックパッカー)も多いが、イギリスやオーストラリアからの集団移民に比べれば誤差くらいの数だ。
 
 自然、彼らとよく話すのだが、一応旅行者同士なので、「xx寺院に行ったか」という話から、自然と「あなたの宗教は?」という話題になる。当初は律儀に、「仏教の影響も強いけど、日本固有の神道という宗教もあってね、これらが混ざり合って日本の宗教を形成してるんだよ」などと答えていたが、面倒くさい。西洋人の反応もあまり良くないので、ここはやはり聞き手のレベルに合わせて答えないといけないと思い、いつしか一言「仏教徒」と答えるようになっていた。けど私は仏教徒なんだろうか? なんか自信ないぞ。

 いろいろ考えていて、そもそも「あなたの宗教は?」という質問が曲者であることに気がついた。まず「宗教」という言葉の定義が難しいうえに、その質問の趣旨は厳密に「~教徒」という答えを求めている場合もあれば、あなたの属する文化的背景を教えてくれ、という趣旨の場合もあるだろう。さらに、仮に後者の意味の質問だったとしても、仏経典の一冊も読んだことがなく、釈迦の話だって手塚治虫のマンガで読んだくらい、年始の初詣だって神社でもお寺でもどっちでも無頓着、そんな私も仏教徒といえるのか。まあ、一つ一つ片付けていこうか(骨が折れる作業だな)。

 まず宗教の定義。gooの三省堂大辞林第2版によると、宗教とは「(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。」とある。

 なんかピンと来ない定義だ。キリスト教やイスラム教など、神と人間の間に緊張関係のある宗教と仏教を並列に並べているところも平面的だし、「神仏などを信じて~」とか「経験的・合理的に理解し制御できない現象や存在~」と定義してしまうと、現代人の多くは国の東西を問わず無宗教になってしまう。だけどタイ人は自分を仏教徒というし、インド人はヒンドゥー教徒という。更に、イスラム教のように生活様式に宗教が強く入り込んでいるものもあれば、仏教(大乗系?)のように比較的宗教生活と現世の生活が分離できるものものある。
 これは辞書の編者が間違っているわけではなく(あまり上手なまとめ方とは思えないが)、そもそも「宗教」という一つの同じカテゴリに入れてはいけないものを入れようとしてるのだと思う。
 だからこれ以降は、宗教の定義などの議論は学者に任せておくことにして、私は「私の属する文化的背景ってなんなのだ」という点を考えてみたい。
 
  

 

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タイ「不法」入国

 25日の夜の便でバンコクに飛んだ。片道航空券である。東京への帰国便は、バンコク発の6ヶ月オープンの往復航空券を買うつもりだ。実は、これは今回の旅でもっともチャレンジしたかったことの一つである。狙いはGWの再渡航。日本で買う格安航空券は、格安といえども、ピーク時には最も安いときの3、4倍という異常な価格がつくので、ピーク時のチケットはなかなか手が出ない。しかし会社勤めの身では、まとまった休みが取れるのはGWなどのピーク時だけなので、泣く泣く高いチケットを買うことになる。ところがバンコク発券の航空券なら、日本のGWなど関係ないのでGWでも通常価格で買える。これを狙ったわけである。なお航空券は、出発地で発券するという国際ルールがあるため、東京→バンコクの片道切符だけをバンコクで買うことはできない。だからバンコク→東京→バンコクの往復切符を買うことになるわけだ。今回、ソウルから片道航空券で入国するのはそういうわけだ。
 ところがタイ大使館のホームページによると、バンコクの空港での入国にあたっては、帰りの航空券が必要だと明記されている。持ってなかったらどうなるんだろう?強制送還?入管法違反で罰金? おまけに私は短期滞在だから滞在VISAも取っていないので、私が持っているオフィシャルな書類はパスポートだけだ。さあどうする? まあ、しかしながら、陸路で入国する人は通常はリターンチケットなんて持ってないし、そもそも法律の趣旨は不法滞在と就労の予防だろうから、審査官も日本人がわざわざタイで不法に就労するなんて考えないだろうし、お金も持ってきてるし、なんとかなるだろう、と法律家らしく趣旨に遡って規定を解釈して、気にせず行ってしまうことにした。
 とはいえ、不安がなかったわけじゃない。一応、ソウルでは日本大使館とタイ大使館を探し出して問い合わせを試みたのだが、なんと予期せぬことに韓国では12月25日のクリスマスは国民の祝日となっていて、官庁街もみんな閉まっていた。なんでやねん。「まあ審査官になんか言われたら、パスポートに10ドル挟んで渡せば見逃してくれるだろ。あ、けどこれは立派な贈賄だよな。不法入国よりこっちの方がよっぽどリスクが高いな。」なんて考えながら、バンコク国際空港の入国カウンターでおそるおそるパスポートとイミグレーションカードを提出した。女性の審査官はこっちを一瞥すると、1秒で機械的にパスポートにスタンプを押し、目で次の人に合図を送りもうこっちを見ることはなかった。オペレーション・グッドモーニングバンコック、ここに成功せり。


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アカスリ体験

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  韓国滞在の最終日、「アカスリ」なるものを体験しにいった。最終日を選んだのにはわけがある。それはナオコから、アカスリをすると保温力が落ちるのか風邪をひきやすいので、私はいつも最終日にやるようにしてる、とアドバイスを受けたからだ。
 行き先は明洞汗蒸幕。昼の3時からこんなとこに行く奴も少ないだろうと思いながら入ってみると、やはり客はまばらだった。くせのある日本語を話す店員の説明を聞いてみると、ここはただのアカスリ屋ではなく、エステサロンでもあり、マッサージサロンでもあるようだ。とりあえずアカスリ+顔面石膏パックで90000ウォン(約9000円)というコースを選ぶ。「男の人でパックする人は珍しいね」と店員に笑われたが、猛烈勤務の3年間でたまってしまった贅肉や疲れや塵や垢を削ぎ落とし、シェイプアップすることも旅の目的の一つだ、ここは譲れない。
 まず、毛穴を開かせるためかよく知らないが、土がまのような低音サウナに入れられた。驚いたことにこのサウナは男女混浴。Tシャツとハーフパンツは身に着けているものの、異性が気にならないわけがない。私が入っていくと、中には2人のおばちゃんがいた。日本語を話していたので日本人観光客だろう。だいたいこんな時間帯にこんな高級エステに来てる時点で、まず日本人しかいない。私は変に絡まれたくないので日本語がわからないふりをして、端の方で寝っころがって熟睡モードに入った。しばらくするとおばちゃん達と入れ替わりに、声から判別するに若い日本人の女の子2人が入ってきた。おお!自分を活動モードに切り替えてそっと頭を持ち上げてみた。しかし中は暗い上にメガネもはずしていたので、何も見えなかった。残念。
 続いて、砂風呂、ゲルマニウム風呂、プラチナ風呂等々に自由に入る。これはさすがに男女別。プラチナなどと名前はすごいが、小さなプール程度のものでしかなく、風呂だけを見たら日本のスーパー銭湯なんかの方がよっぽどすごい、なんて思っていたところに、風呂場の脇に腰掛けていたおっちゃんから声がかかった。「アカスリやるか?」 銭湯の端に並んでいる手術台のようなベッドに寝かされた。胸、腕、足、背中と、時には力をいれて、時には軽くこするように、アカスリタオルで丁寧に体をこすっていく。アカスリをしてくれるのは、こちらも短パン一丁のおっちゃん。時々乱暴にお湯をぶっかけられる。所要30分くらい。正直、こんなものか、とたいした感動はなかった。ただ、気持ち悪いことに、この全工程をじっと見つめている男がいた。短パンをはいているのでここのスタッフだろうが、浴槽の縁に腰掛けてずっとこっちを見ている。気持ち悪さを超えて、だんだん腹立たしくなってきた。全工程が終わったところでその男がこっちに近寄ってきた。「気持ちよかったか?」「は?ええまあ(ちょっと怒って)」「コイツは実は新人なんだ。だから私がもう一回やるがいいか?」「?!」 そう、この男は熟練アカスリ師で、私を題材に新人研修をしていたのだ。こうして、もう一度同じ工程が繰り返された。

 続いて石膏パック。こちらはちゃんと別室に通されて、女性スタッフがやってくれる。が、当然ながら顔に石膏を塗りまくられてしまうので何も見えない。途中、赤外線ライトを当てられたのか石膏の下の私の顔が異常に熱くなったり、両目の上に漬物石(のように感じた)をのせられたりして、50分ほどで終了。最後に、カチカチに固まった私の「お面」を両手で挟んでバリバリとはがす。待望の私の新しい顔だ。男前度はどのくらいアップしただろう。

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「韓国にいじめはないんだよ」

 旅に出るとたいてい一日中歩き回っているので、一日のカロリー消費量は相当なものだ。けどその分お酒の消費量もすごいのでぜんぜん痩せない。
 
 23日、24日と連続して南大門に行った。ここは東京で言えば日暮里や浅草橋あたりの問屋街といったところだろうか、生活雑貨屋から洋服屋まで、屋台がちょっと大きくなった程度のお店がずらりと並ぶ、ぶっちゃけネズミなどが走り回ってそうな汚いエリアだ。もっともここも再開発がすすんでいるようで、数年前に一部のエリアを取り壊してMESAという綺麗な大きいビルが建ちショッピングモールになった。ところが面白いことに、この時代の最先端を行くビルのフロアは屋台サイズに区切って間貸しされていて、そこに従来からの店が入る。わざわざ人の通り道まで、人が2人歩くと袖が触れ合うくらいの路地裏サイズになっていて、綺麗なビルの外観とは裏腹に中に入ると、やっぱり南大門がそこにあり、おばちゃんが商品の上にお盆を広げて韓定食を食ってたりする。要するに横に伸びていた平屋の屋台が、ビルの中で縦に伸びただけだ。不思議なメンタリティだ。

 クリスマスイブの夜は、たまたま訪れた日韓交流喫茶「KAKEHASHI」のパーティーに参加することになった。日本語堪能のマスターいわく、「旅行者ですか?今晩、一人20000ウォン出し合って、焼酎とお菓子を買い込んで朝までパーティーします。女の子と男の子は半分ずつくらい。韓国人と日本人も半分ずつくらい。」ゲストハウスに帰って誰かとつるんでも良かったが、単純計算で1/4が韓国の女の子であることを素早く計算した私は、二つ返事でパーティーの方を選んだ。
 参加メンバーはおおまかに、日本語に興味を持つ韓国人が半分、韓国に留学している日本人が半分。年齢層は学生から30才くらいまで。旅行者は私一人だ。日本人留学生の男女比は1:1くらいで、正直、韓国にこんなにたくさんの日本人の留学生、特に男の留学生が来ていることに驚いた。
隣に座った朴さんという韓国人男性が非常に日本語に堪能で、いろいろ話をした。彼の現在の仕事は、中国やベトナムなどから仕入れた商品を綺麗にラッピングして日本語のラベルをつけて、日本の大創産業(ダイソー)に販売することだという。「日本の消費者は厳しいから大変です」と流暢に笑って話していたが、日本語勉強歴はたった3年。彼に限らず韓国人の日本語習得は一般にすごく早い。文法も単語も似通っているからだろう。
驚いたことに、彼はビールの栓をライターのお尻で開ける。軍隊で習ったらしいのだが、左手でビール瓶の口の細い部分をしっかり持って、人差し指だけ少し浮かせてテコの支点を作り、右手に持ったライターをテコの要領で動かすと、ポンっと軽快な音をあげて栓が抜けるのだ。彼だけじゃなく、韓国人男性はだいたいこの技を習得しているようだった。
 酒がすすんで来ると、冷やした真露が出てきた。これを冷酒のように、ショットグラスで飲む。たまに「コンベッ」(乾杯)と誰かが掛け声をあげると、一気しなくちゃならない羽目になる。この頃には朴さんはぼろぼろに酔っ払ってきて、当初の紳士的な人柄はすっかりクダを巻いたオヤジに代わっていた。それで、近くにいる後輩に、あれ持ってこい、これ持ってこい、といろいろと命令する。後輩も人がいいのか、先輩のいうことに全て従う。「韓国では年上は絶対ね」と朴さんは笑って私らにも何か困ったことがないかと聞く。よせばいいのに日本人の留学生の女の子が、「もっと安いドーミトリーを探してるんだけど。。。学校の最寄り駅から3駅くらいで家賃が40000円未満のところを」なんて言うもんだから、かわいそうな後輩はパーティーの最中にインターネットで家探しをさせられることになった。朴さんはというと、そのうちソファーでいびきをかいて寝てしまった。

 そんな朴さんがまだ正気だったころ、一つ質問されて、うなってしまった。「なぜ日本人はいじめをするんだ? 韓国にいじめはないです。弱い人は守ってあげようとするのが韓国。」 昔は日本にもガキ大将みたいのがいて、同じような美徳があったとどこかで読んだ。考えて、私はこう答えた。「理由は大きく2つあると思う。一つはいじめをする日本人は自信と心に余裕がないんだ。だから攻撃的になるし、誰かをいじめて服従させることで自分のあり方が間違ってないことを自己確認する。もう一つは暇なんだ。暇つぶしくらいのゲーム感覚でいじめをしてる奴も多いと思うよ。」
 私の答えがどれだけ正しいか、いじめっことあまり接点のない私はわからない。ただ、海外放浪すると自信も余裕も出る。私はいじめなどをしている中高生には、東南アジアを1,2週間放浪させたいと思う。いじめなんかよりよっぽど面白い世界がそこにはある。

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韓国女性の女っぷり

 宿泊したソウル市内のゲストハウス(KOREA GUESTHOUSE)で、奇遇にもナオコと再開した。昨夏に韓国にはじめて来た際に、やはり同じゲストハウスで会って一緒に酒を飲んだ25才くらいの札幌人である。彼女は韓国から布地や洋服を仕入れ、自らが経営する札幌のショップとインターネットで販売して生計を立てている。年に数回韓国は東大門に買い付けに来て、一人で韓国語で価格交渉もする。収入もOL時代と比べたら倍くらいあるというから、すごいバイタリティだ。彼女はぜんぜん気負いもなく、人当たりも良いかわいい女の子なのだが、やってることを考えるとホントに尊敬。顧みて自分はまだまだ大海に出てないな、と思ってしまう。
 旅の楽しみの一つは、「ヒト」と出会うことだ。パックの海外旅行ではなく、安いゲストハウスに泊まって旅を続ける個人旅行者の中には、国の東西を問わずユニークな人生観を持つヒトも多いし、現地人とも、お互い片言の英語ながら(逆にそれが手伝ってか)、本音で本質的な話ができる。日本国内で日常生活しているときとは、まったく会話の内容が違う。

 ロッテホテルの3階に割拠する各旅行代理店でニュージーランド行きの航空券を早速調べた。「片道で80万ウォン(約8万円)、往復で120万ウォン(約12万円)です。」え、これじゃあ日本発券のものと変わらない。事前情報と違う。仕方がないので一度ソウルからバンコクへ飛んで、再度バンコクで格安航空券を探すことにした。バックパッカーの聖地、バンコクでならきっと見つかるだろう。「バンコクまでは片道で44万ウォン(約4万4千円)です。」私が日本で買ってきた東京・ソウルの格安航空券(復路は捨てるつもりだ)が2万5千円だったので、合わせるとバンコクまで到達するのに片道で7万円もかけることになってしまう。これだけ払えば東京・バンコクの往復航空券が余裕で買える。格安を追求するあまりなんとも馬鹿なことをしたものだが、仕方がない、せいぜいソウルを満喫しよう。クリスマスも、(オークランドと違ってキリスト教圏でない)バンコクでは面白みがない。ソウルの方がマシかな。かくして私のソウル滞在は当初の24時間の予定が4日間に延びた。まあ休みは4週間もある。急ぐことはない。

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 23日の夜は、ゲストハウスに泊まっていたタカとダイスケ(ともに日本人)とともに焼肉を食べに行った。ここで強烈な個性に出会った。ダイスケの留学時代のクラスメートで、後から合流した韓国人女性・李OB(彼女の名前は珍しく漢字ではなくハングルのみ)。派手な顔立ちで、白のニットに鮮やかな水色のタイトミニ、そして黒のストッキングで決めた上に黒のロングコート。手首を傾けてタバコを吸うしぐさも手伝って、初印象は「コイツお水女か?!」 でも綺麗な人だ。おまけに英語もネイティブに近い。話を聞いてみるとバックグラウンドがまた凄い。演劇をやっていて、ティーンの頃にはテレビに出たこともあったという。ユンソナは当時のお友達だとか。アメリカ・イギリスに留学経験があり、現在は大学院の博士課程で演劇を専攻し、演劇で大学教授になることを目指しているという。アルバイトで芸大受験生の受験指導を行っているというので、「ぶっちゃけそんなんじゃ食えないでしょ」と話を振ると、「実家がリッチなのよ」という答えがあっさり返ってきた。博識で、日本の歌舞伎や能に興味があるというから、歌舞伎では「オヤマ」といって男性が女性を演じるんだよと薀蓄をたれたら、「そんなの当然知ってるわ。私は演劇専攻よ。」と笑って切り返された。逆に、「幕の内弁当」やら「18番」やらの由来のトリビアをこちらが教わることになってしまった。軽妙なトークでいろいろと話題を提供したり、しばらく黙っている人に話をふったりして場を切り盛りする様はまるでクラブのママさんで、見ていて気持ちがいい。韓国にもこんな女性がいるのか、と新鮮だった。タバコを燻らせながら彼女は言う。「ここ10年くらいで韓国の女の人は随分変わったわ。仕事もして男性並みに収入もあり、お酒も飲むしタバコも吸う。結婚すると男性に縛られるので、ボーイフレンドはいてもなかなか結婚しないの。私もそう。」 それでありながらメンタリティは欧米化しているわけではなく、ちょっとした話の中に仲間や家族を大切にする韓国文化もたくさん感じられた。こんな女っぷりの良さを惜しむところなく見せてくれたOBは、二軒目の酒代も「ゲストに払わせないのが韓国文化だから」と、ここは俺たちが払うとかなりしつこく食い下がった我々3人を押しのけて、とうとう4人分10万ウォン(1万円余)をカードで支払ってしまった。おごられてしまった我々3人とは、私とダイスケ、タカの3名。みな20代後半の社会人で、日本人男性である。嬉しいんだか、情けないんだか。。。

 近いうちにTOKEBI STORMという舞台を一緒に見に行こう、と再会を約束して別れた。ちょっと別れるのが惜しかった。

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旅のはじまり

 インチョン国際空港を出てソウル中心部の明洞(ミョンドン)行きのバスに乗った。お昼過ぎだというのに吐く息が白い。寒い。ソウルに用などなかった。今回の旅程は、12/22から1/16までの約4週間。休職扱いの無給休暇とはいえ、日本企業がこんなに休みをくれるのは珍しいだろう。3年以上にもわたり猛烈に働いた勤務先とタフネゴした結果、旅の成果として英会話能力を向上させることを条件として、やっとのことで勝ち取ったオフである。3年間の心身の疲れを癒すとともに、願わくばマリンスポーツという趣味を一つ増やしたり、さらには将来のメシの種になるようなビジネスチャンスを探したりしたい。乾季を迎えこれからが最高の観光シーズンだという東南アジアか、サーフボードにのってサンタクロースがやって来るというオセアニアの国々にでも行くか。

 それにもかかわらずソウルに立ち寄ったのには、野心的な理由が一つあった。格安航空券である。常々、日本発の航空券の値段の高さと使い勝手の悪さには不満だった。その点、海外発券の航空券はより安価で、フレキシブルだという。そこで東京からソウルまで格安で飛び、東南アジアやオセアニアへはソウル発券の航空券で行く。そう、冬のソウルに立ち寄ったのは、ソウル発券の航空券を手に入れたいがためである。順調に行けば明日12/23にはニュージーランドのオークランドへ飛んでそこでクリスマスを過ごし、年末にバンコクに移ってカウントダウンはタイで楽しみ、その後マレーシアを徐々に南下しながらシンガポールまで行こうという計画だ。ま、計画どおり行くことなんてあんまりないけど。


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