カテゴリー「07 - 科学・科学史」の記事

2009.11.05

単位の話

I5_wa_sign 以前アメリカのシアトルからカナダのバンクーバーに車で行ったことがある。シアトルから通称I-5(アイファイブ)という高速道路を北に向かって3時間ほど走ればもうカナダ国境で、そのまま走ればバンクーバーはすぐそこだ。

アメリカの高速道路には速度制限を示す「65」の看板が立っている。これがカナダに入るやいなや「100」に変わる。あれ?カナダってスピード出していい国なんだ?  と一瞬勘違いするのだけど、これはアメリカが「マイル」表示なのに対して、カナダが「キロメートル」で表示しているだけ。1マイル=約1.6キロなので、ほぼ同じだ。

国が変わると単位が変わる。単位が変わると違った面が見えてきて面白い。

Juice 右の写真はイギリスで飲んでた普通のペットボトル飲料(クランベリー&ラズベリー味のジュース)だが、栄養表記欄の energy のところに、139KJ / 33kcal とあるのが見えるだろうか。このようにキロジュールで書かれると、ジュール=仕事量と中学校以来頭にインプットされているので、「ああ、これを飲めば俺の体重なら何メートル持ち上げられるかな」なんて思う。カロリーという実感のわかない単位がジュールになることで、食べ物の摂取が急に力学的に見えてきた。

グリニッジの博物館で見た古い分度器には、90度のところに「96」の表記があった。昔は角度も12進法だったのだろう。直角は96度、円をぐるっと一周して384度だ。考えてみるとこれには大きな利点があって、96という数字は約数が多く、直角をいくつにも割っていっても当分の間は小数が出ることがない。子供の頃製図をしていて、90度を1/4に分割すると22.5度になってしまい、分度器に0.5度の目盛りがなくてなんかしっくりこなかった思いをした。この直角=96度のルールならそんな問題は生じない。

Mcompass_5 以前マレーシアで買った方位磁針(左図)は、一周が400度だった。つまり直角は100度。これも意外に使い勝手が良い。円=360度という我々の常識は、意外ともろい常識のようだ。円=360度であることのメリットは、地球の公転周期である約365.25日に近いこと、つまり地球は太陽に対して一日約一度動く、といえる点のみだと思う。

海外を旅する度に、ささいな日常からこれまで常識だと思っていたことが覆されて、複眼になった分だけ違った面が見えてくる、というお話でした。

 



※ヨーロッパ旅行絡みの話はここで一区切りつけて、また京都・伏見生活に戻ります。

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2009.10.04

グリニッジ天文台 - Royal Observatory, Greenwich

Photo_2

 世界に名だたるグリニッジ天文台。さぞ巨大な望遠鏡が中央に据えられて威張っているだろうと思って行ったところ、見事な肩すかしにあった。国の天文台の主要機能はケンブリッジをはじめ各所に移されていて、グリニッジは博物館併設の学習施設・観光施設になっていた。一応口径28インチ(約71cm)の望遠鏡はあるのだが、ハワイにある日本のすばる望遠鏡が口径8.3mという時代なのであまりありがたみがない。建物も住宅のような建物が二つとプラネタリウム館があるくらいで、意外に質素だった。上の写真は天文台周辺を遠くから見たところ。

 入口にはグリニッジ標準時を示す24時間時計がありました。

Photo_3


 これがグリニッジ子午線。東経0度。もちろん西経も0度。このステンレスが埋め込まれた直線が、世界の時刻の基準となっている線です。

Photo_4

 ここでは線をまたいで写真を取るのがお約束なのだけど、けっこうな人が並んでいたのでパス。他人をこっそり写してきた。

Photo_5

 こちらの建物はフラムスティードハウスと言って、初代王立天文台長となった天文学者ジョン・フラムスティードが住んだ家を博物館にしたもの。屋根の上の赤い玉は時報代わりで、1833年以来毎日、13時にこの玉を落として周囲に時刻を知らせているらしい。

Photo_6

Photo_7

 フラムスティードハウスの中は博物館になっていた。でも展示物は望遠鏡ではなくて、意外にも時計がメイン。中でも、ジョン・ハリソンがその生涯をかけてやっとのことで製作した航海時計『H-4』と、その先行機『H-1』『H-2』『H-3』の四台の時計が中央に鎮座していた。天文台の博物館の中央に航海時計が展示されているというのが、経度測定競争において時計が月距法に勝利したことを象徴しているようで面白い。

H1H2

H3

H4




※写真はNational Maritime MuseumのHPより転載させていただきました。メカニズムの説明もこちらにあります(英語)。

#ついでにこちらはこの界隈にあったマリングッズのお店。キャッチコピーは「First Shop in the World!」。西経0度0分4秒だそうです。

Firstshop

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2009.10.03

グリニッジ紀行 ~経度測定史

Greenwich 少し時間に余裕ができたので、9月下旬に約二週間、イギリス・ドイツを旅してきた。今回の旅の一番の目的はロンドンのグリニッジにある、天文台と海事博物館。グリニッジで大航海時代に思いをはせようという狙いだ。天文台と大航海、一見何の関係もないようだが、一点を通じて実は密接な関係にある。その一点とは、地球の経度(Longitude)測定だ。

巨万の富を大英帝国にもたらしたアジアやアフリカや新大陸への大航海だったが、その一方で航海は常に危険と背中合わせだった。例えば1707年にはアソシエーション号のシャベル提督以下乗組員2000名がシリー諸島で座礁して亡くなった。1741年にはアンソン提督率いるセンチュリオン号が嵐の中で寄港地を見失い、右往左往してる間に数百名の部下が壊血病で亡くなった。こうした海難事故がおこるのは、船の現在地がわからないからである。

すなわち、航海中の船の現在地の緯度経度が分かれば、海図を参照しながら、暗礁を避けるのも寄港地に立ち寄るのも容易い。が、現在地の緯度は太陽や北極星の高度を測ることで把握できるものの、経度を把握する方法がなかった。

Longitude 経度というのは基準点(例えばロンドンのグリニッジ)との時差線で、例えば船の上で太陽が南中したときにグリニッジでは15時だということがわかれば、太陽は1時間に15度進むので(360度÷24時間)、船はロンドンより西に3時間分=西に45度の場所にいることがわかる。つまり、正確な時計があれば経度はわかる。だが、温度も湿度も行く先々で大きく変化し、揺れも激しい船上で、正確性を保ち、しかも絶対に止まらない時計は存在しなかった。

そこで海難事故をなんとかしたいイギリスは、1714年に経度法という法律をつくった。これは経度を正確に測定できる方法を発明した者に賞金を出すという法律で、一等賞金は国王の身代金相当額というのだから、その真剣度がわかる。

たくさんのアイデアの中で、一番有力だったのは月を時計代わりに使う「月距法」というものだった。これはグリニッジなど基準地における天体観測データを膨大に収集し、将来の動きも予測して、表(いわゆる航海暦)にして船乗りに持たせておいて、船乗りはその土地の月と太陽(夜なら明るい恒星でもいい)の距離を測り、手元の時計と航海暦で同じ距離を示すグリニッジの日時を比較するという方法だ(手元の時計は南中時に合わせておくのだろう。数時間程度であれば誤差はそれほど問題にならないないと思われる)。これで時差がわかり、経度を算出できる。月は地球上どこからでも見えて、時には昼でも見えるし、割と早いスピードで動くので細かな時間も測れる、というのがポイントのようだ。ただ、航海暦の作成には長年にわたる膨大で正確な天体観測データが必要なので、その為の観測の手間は並大抵のものではない。実はグリニッジ天文台も、この目的のための天体観測所として作られたのだという。宇宙の仕組みを探るのではなく、航海に役立てるという非常に現世的な目的で天文台が作られているのが面白い。

ふう、ようやく、グリニッジ天文台と大航海がつながった。

John_harrison_uhrmacher 他方で、長い航海にも耐えうる精度の高い時計の開発、というアプローチを取った者もいた。この中心人物が無名の時計技師、ジョン・ハリソン。こうして月距法と航海時計の開発競争のドラマが約100年にわたって続く。

実はこの辺のお話は『経度への挑戦』(デーヴァ・ソベル著、翔泳社刊)という本に詳しくかかれており、私の旅もこの本に触発されたところが大きい。この分野の話が好きな方にはぜひ一読をお勧めする。海外では映画にもなってます。

では、前置きが長くなったけど、次回は現地レポートを。

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2008.08.27

北京五輪と人工消雨

Beijing 北京オリンピックの開会式と閉会式の日が雨にならないように、 中国が人工的に雨を消した(人工消雨)と話題になっている。

雨を降らせる方法は聞いたことがあったけど、雨を消すというのはどういうことだ?

と思ったら、仕組みは同じだった。要するに、雨雲が北京に到着する前に、風上で強制的に雨を降らせてしまえば、 北京の空には雨雲は来ない、という論理。

雨を降らせるのには、雨雲にロケットでヨウ化銀を打ち込む。 なぜヨウ化銀かというと、結晶の構造が氷に似ていて、氷が結晶する際の 種になりやすいからだそうだ。チリとかホコリとか、過冷却状態の水の結晶化を促進する役割のものは他にもたくさんあるようだけど。

人工的に雨を降らせるなんて、自然の理に反するような気もするけど、 日本でもむかしから何日も護摩木を焚いて雨乞いの祈祷もしてたわけだし(意外と科学的だ!)、まあいいのかな、いや、どうなんだろう。

 

【開会式】
9日付京華時報によると、8日夜に行なわれた北京五輪大会の開会式直前、「超大規模」な人工消雨をしていたことが分かった。

 8日夕方、北京市の西部と北部では雨が降り始め、落雷注意報も出された。このため午後6時ごろ、気象関係スタッフは、決められていた各地で降雨剤の散布 を行なった。厚い雲が五輪開会式が行なわれる国家体育場(愛称:鳥の巣/バード・ネスト)に到達する前に、雨をあらかじめ降らせてしまう、「人工消雨」の 実施だ。

  関係者によると、北京市西部などで行なった人工消雨は、「超大規模」だったという。

  北京市気象台は午後9時45分、市内の大部分で3時間以内に雷雨が発生するとの警報を出した。しかし開会式中に雨は降らず、終了後約30分で市内北部で雷雨がみられた。

 一方、北京市に近い河北省でも52カ所で人工消雨を実施。張家口、承徳、保定では午後8時ごろからにわか雨が観測された。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0809&f=national_0809_023.shtml


【閉会式】
新華社電によると、北京五輪の閉会式が行われた24日夜、五輪旗の引き渡しなどの式典時間帯の晴天を確保しようと、中国の気象当局が飛行機やロケット弾を使う大規模な「人工消雨作戦」を展開した。

 同様の作戦は今月8日夜の開会式でも実施されており、いずれも会場の国家体育場で雨は降らなかった。

 閉会式での作戦開始は24日午後2時ごろ。気象当局が「発達した雨雲が北京方面に向かう。開会式の時と比べ、降雨の確率は高い」と判断。その後、 式典開始50分後の午後8時50分までに、飛行機8機が北京市や河北省の上空で雨雲に化学物質を散布。ロケット弾は計241発が発射された。その結果、閉 会式が終わる深夜まで雨は降らず、式典は予定通りに行われた。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080804/chn0808041038007-n1.htm

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2008.07.07

究極のエコシップ

Horie 海洋冒険家の堀江謙一氏(69才!)が、約4か月かかってハワイから紀伊水道までの6,000kmの単独航海に成功したそうです。
http://www1.suntory-mermaid2.com/sm2_main.html

実はこの船、エンジンがない。帆もない。 推進力はなんと波。波浪推進船といいます。開発したのは東海大学の寺尾教授。


Map
詳しい仕組みは理解できませんでしたが、 流体力学によると、波によって船が上下に揺れる運動が、 船につけられた水中翼により、船を前に押し出す力に変わるんだそうです。 日本の技術はすごい。
http://www2.scc.u-tokai.ac.jp/www3/news/fune/wavepowerboart/wavepowerboart.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312372603

航海日記を読むと、スピードは常時2~3ノット(時速4-6kmくらい)出ていたようです。ん、歩くスピードと同じくらい?意外と遅い。

Wavepowerboat3ところで 堀江さん、食事は電子レンジでシューマイやらご飯やらを温めたりもしていたようです。えっ電子レンジ? 推進力に使わなかっただけで、電気はあったんですね。そういえば屋根にソーラーパネルが。

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2007.10.09

腕時計のTACHYMETER(タキミーター)って何?

Tachy 何気なく使っている腕時計。よくよく見ると文字盤の外側にTACHYMETERと書いてあり、大きな円を描くように360-60までの数字が並んでいる。一体コイツは何に使うんだ?

一言でいうと、TACHYMETER(タキミーター、タキメーターと読む)はストップウォッチと連動させた時速表示板だった。使い方は、ストップウォッチをスタートさせ、車や自転車が1キロ、1マイルなど1単位の距離を走ったところでストップウォッチを止める。このとき、ストップウォッチの秒針が指している場所に表示されている数字が時速だ。

時速というのは言うまでもなく距離/時間だ。例えば1kmを40秒で走った場合の時速の求め方は、1km/40秒で出した秒速(0.025km/s)に、3600を掛けた数字になる。こうして算出した時速は90km/hだ。

Tachy2 ここでもう一度時計の外側の文字盤を見ると、ストップウォッチが指している40秒のところに90と書いてあるのがわかる。ようするにこの文字盤は、1単位÷所要秒数でわかる秒速(単位/s)に3600をかけて時速(単位/h)にした数値が書かれているのだ。自分でいちいち計算しなくて良いのが便利だ。

なおTACHYMETERは英語だが、これはギリシャ語源で「素早い」を意味する「TACHY」と、計測器の「METER」を組み合わせた単語だ。なお自動車にはTACHOMETERというのがついているが、これはエンジンの回転速度計であり、似て非なるもの。では自動車についている時速計の名前はというと、ODOMETERという。ODOは「道、動く」などを意味するギリシャ語源だ。

なるほど、TACHYMETERはなかなか便利だ。だが自動車にはODOMETERがついているので必要ない。これを使う機会があるのは、サイクリングの時くらいか。しかも距離表示があるところでの。うーん、あんまり使う機会はないかもしれない。

[※参照]
http://en.wikipedia.org/wiki/Tacheometer
http://drbilllong.com/GrLaRoots/Tachy.html

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2007.10.07

木の年輪から遺跡の年代を測定する方法

Nenrin 昨日、発掘物や化石などの年代を測定する方法として放射性炭素(C14)を使った年代測定法を紹介したが、もっと地味ながらも1年単位で年代を測定する方法がある。年輪年代測定法がそれだ。

年輪測定法は、平たく言うと、何千年、何万年の木の年輪の成長パターンをデータ化してしまい、発掘物の年輪とこのデータを照会して年代を測定する方法だ。

Nenrin1 一年のうち寒暖の差が大きい地域に育つ木には、明瞭な年輪ができる。年輪は成長の記録なので、環境要因(日照時間、気温、降雨量等)に左右され、一年ごとに成長の幅が違う。同じ種、同じ地域で育ったたくさんのサンプルの年輪幅を0.01mm程度の精度で計測して成長パターンを得て、この成長パターンを順々につなげていくことで、数千年の成長パターンが得られる。このデータと、発掘物の年輪を照らし合わせるわけだ。

現在日本ではスギやヒノキの3000年分のデータがあり、アメリカのカリフォルニア州ホワイトマウンテンのブリストルコーン松については約8500年前まで、ドイツのマイン川・ライン川流域のリバーオークについては約10000年前まで遡れるデータがあるという。

実に地味な手法だが、精度は非常に優秀で、どうしても数十年から数百年の誤差が出てしまう炭素年代測定法と違って、一年一年の暦年まで判別できるため、考古学の現場では炭素年代測定法を補完する手法として、さらには炭素年代測定法の前提となる大気に含まれる炭素14量を年単位で探り同方法の精度を高める材料として大活躍しているらしい。

さらに、この年輪データを使って古代の気候を探る年輪気候学という分野も生まれている。地味ながらすごいのだ。

[※参考]
http://dendro.naruto-u.ac.jp/~yn/dendro/opening_j.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/年輪年代学/
http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/chronology/dendrochronology.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Dendrochronology

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2007.10.06

歴史の「事実」と文献史学と考古学 

Heijo 「ナント見事な平城京」「イイクニツクロウ鎌倉幕府」。こうして私も日本の歴史を教わってきたが、教科書の著者とてこれらの歴史的事実を見てきたわけではない。じゃあなぜこれらが事実だと断言できるのだろう?

こうした歴史的事実の認定は、主として文献によっている。こうした文献を中心に歴史的事実を探る学問を文献史学という。もちろん教科書に載るまでには、さまざまな角度から検証が加えられ、一定レベルの確度は確保されているのだろう。

文献史学の弱点は、文献が少ない時代や、そもそも文字がなかった時代の歴史の事実認定には限界があることだ。たとえば日本の古代史もそうで、古事記、日本書紀、あるいは魏志倭人伝などによるわけだが、時の権力者が自分に都合のいいように歴史を書き換えたり、他の歴史書を焼却したりするのはよくあることだ。

こうした空白を埋めるのは、古代史レベルなら考古学の役目だ。さらに古い時代のことなら、地質学、生物学、気候学、天文学などが活躍する。

さてその考古学は、遺跡や歴史的建造物を切り口に当時の人間生活を探っていくわけだが、たとえば遺跡を発掘したとして、その遺跡が建造された年代をどうやって調べるのだろうか? 年代測定にはいくつかの方法があるが、その中でももっともメジャーなものの中の一つが、炭素年代測定法だ。

Tanso14私なりに理解したところでは、炭素年代測定法は、通常の空気中の 炭素14の濃度と、発掘物に含まれる炭素14の濃度の差を利用する。炭素14というのは半減期が約5730年の放射性物質で、普通に空気中に存在し、光合成をしている植物にも、その食物連鎖の上位にある動物の体内にも同濃度で含まれている。半減期というのは、放射性物質が崩壊して濃度が半分になるのにかかる時間のことだ。生物は生きている間は常に大気からの供給を受けているため、概ね大気に含まれるのと同じ濃度の炭素14を有しているが、死ぬと新たな供給がなくなるため、炭素14は崩壊する一方で、濃度はどんどん薄くなっていく。そこで、発掘物に含まれる炭素14の濃度を調べれば、何年前に炭素14の供給が止まったのか、すなわち、植物ならいつ光合成を止めたのかがわかるわけである。

Yayoijar 例えば土器は土(粘土)から作るわけだが、土には枯れ草や種子も含まれるため、それらに含まれる炭素14の濃度を調べることで、それらの製作年がわかるわけだ。木像の仏像などの年代測定も同じだが、もっとも仏像の製作に枯れ木を利用した可能性もある点には注意しなくてはいけない。例えば弥生時代の開始時期のように、この手法を使って検証した結果、それまでの通説が変更を迫られる場合も少なくない。

歴史上の人間の生活の解明という非常に文系的な学問課題に対し、放射線物質の測定という非常に理系的な手法を使ってアプローチしている点が面白い。

話を歴史の教科書に戻すと、教科書においては、歴史の「事実」は教えても、何を根拠にその事実を認定したかという点についてはほとんど触れられない。しかしながら、歴史の「事実」は新しい資料の発見により大きく変更を迫られることもあるわけだ。ただの「事実」の暗記ではなく、論理的思考力を鍛えるという意味でも、少なくても高校レベルの歴史の教科書には事実認定の根拠を明記して欲しいと思う。

[※参考]
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/12/post_880d.html http://www.kutl.kyushu-u.ac.jp/SubGroups/AMS/ http://wiredvision.jp/archives/200503/2005030808.html

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2007.09.24

大航海時代の航海(2)~太陽から方角を知る方法

Sunship 昨日、羅針盤を使った航海の限界について書いたが、今日は太陽から方角を知る方法について考えてみる。

北半球であれば、南中時(日中、太陽が一番高い位置に来る点)の太陽の方向が南の方角だ。これは当時でも常識だ。だから南中時の太陽を基準に、遠くに見える島や山などの方角を見定めて、それを頼りに航海を行ったであろうことは想像できる。

ただしこの方法には多くの難がある。まず、南中時にしか使えないことだ。たとえば昼の3時頃方角を知りたくなっても、太陽はもはや基準点にならないので使えない。次に、南中時であっても、山や島など目印になるものが近くにない場合、せっかくわかった方角を記録する方法がないので、船が揺れればそれまでであることだ。

Hl_wristwatchちょっと待てよ、とここで思い出すのは、ボーイスカウトなどでも教えている、太陽と腕時計を使って方角を出す方法(右図)。短針を太陽の方向に向けて、時計盤の12時と短針のちょうど真ん中を示したところが南(北半球の場合)だ、というあれだ。当時もこの方法で方角を知ることはできなかったのだろうか?

まず、なぜこの方法で南がわかるのかを明らかにしてみよう。ポイントは、南中=12時を基準としていることと、腕時計を時を計る道具としてのみならず分度器として利用していることだ。

南中から南中までが24時間なので、太陽は360度を24時間かけて、つまり地球からみると1時間に15度動く。N時間では15N度だ。他方、時計の短針は12時間で360度回転するので、1時間では30度動く。N時間では30N度だ。つまり南中時=腕時計の12時でよーいドンでスタートすると、時計の短針は、太陽が動くスピードの倍のスピードで動いていることになる。

Tokei仮に今17時だとしよう。太陽は5時間で75度西に動いた。だから今の太陽から75度分戻ったところが南中=真南だ。分度器があればそれを使って75度を測ればいいのだが、せっかくだから今17時であることを示してくれた腕時計を使ってみる。腕時計を分度器として使うのだ。文字盤の1時間は30度なので、その二個半分が75度だ。これが真南だ。

面白いことに、短針の指す場所と文字盤の12時でつくる角度の大きさは、いつだって太陽が12時=南中から動いた角度の倍になっている。時計の短針は、太陽の倍のスピードで動いているからだ。だからこの短針と12時でつくる角度を半分にしたものが、太陽が12時から現在までの間に実際に動いた角度で、その指し示すところが12時の太陽の位置、つまり真南だ。これが短針と12時の「真ん中」を取る理由だ。午前中も同じように考えればよい。

さて本題に戻って、ではこの方法で航海中に方角を知ることはできたのだろうか? 上記の説明から、この仕組みが成立するには2つの条件があることがわかる。

(1)   南中時に時計を12時に合わせること
(2)   時計が正確に時を刻むこと

多くの国では、いわゆる標準時を採用しており、基準点(日本なら兵庫県明石市)以外では12時に太陽が南中しない。これでは時計が12時に真南を指さない。当然、それをベースに算出した方角も間違っている。国の時報に時計を合わせるのではなくて、太陽に合わせなくてはいけない。この点、当時でも六分儀(水平面からの角度を図る分度器)を使って南中を知ることはできたので、この点は問題ない。

Henlein 次に、時計が正確に時を刻むことが必要だ。時計は15時を指しているが、実際には15時30分だったというようなら、この方法が機能しないのがいうまでもない。ところが当時の時計はゼンマイ式で、まだまだ分単位の精度がなかったため、分針もなかった。振り子時計は1657年に発明されているが、揺れに弱いので船上では役に立たない。分針もないようでは、毎日12時の南中にセットしなおしたとしても、方角を知るための手段としては限界があったと思われる。

結局、当時の航海は星空、羅針盤、太陽と時計など、方角を知る手段としてはどれも一長一短あるものを、それぞれ補完しながら併用していたのだろう。

[※参考]
http://kawai3.hp.infoseek.co.jp/history2.html
http://www.popxpop.com/archives/2007/08/post_341.html

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2007.09.23

大航海時代の航海~羅針盤と地磁気

羅針盤 先日から大航海時代の航海について書いているが、素朴な疑問がわく。当時の人たちは、どうやって航海に必要な方角を知ったのだろう。

まず、星空は利用したであろう。夜空見上げて北極星が見つかれば、それが北の方角だ。北がわかればその反対側が南で、90度ずれたところがそれぞれ東と西だとわかる。

だが昼間はどうだろう? 太陽は動くが、方法次第では多少は方角を知る役に立つ。この点はまた次回書くとして、まずはより一般的に使われたであろう、羅針盤、いわゆる方位磁針(コンパス)について考えてみたい。

方位磁針とは、磁石を自由に回転できるようにした道具だ。磁石が地球の地磁気に反応して、N 極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向く。方位磁針の発明者は中国人のようで、紙、火薬、活版印刷と並んで中国の四大発明の一つといわれている。ヨーロッパにはアラブのイスラム商人などを通じて伝わったようだ。

偏角図方位磁針を航海に用いるにあたっては、大きな問題が一つある。それは、方位磁針が指す北は、北極点ではないのだ。方位磁針はあくまでも地球の磁場の北(磁北という)を指す道具なのだが、磁北は2007年現在、北緯84.1度、西経123.7度の場所にある。このため、方位磁針が指す方向と北極点との間には誤差がある(偏角という)。この誤差は緯度が上がれば上がるほど大きくなり、赤道付近では0-10度未満だが(これでも航海するにあたってはとても大きな誤差だ)、例えばアメリカ西海岸では10-20度にもなる(図参照)。さらにこの磁北は固定点ではなく、毎年かなり変化している。

さらに厄介なことに、磁北以外にも方位磁針が反応する「偽磁極」とも言うべきものもあり、日本ではシベリアにある偽磁極に引っ張られて、方位磁針は北極点よりも6-10度西にずれた方向を示す。

要するに、羅針盤(方位磁針)単体では正確な方角を知る道具としては限界があり、航海にあたっては、場所ごとの偏角を記した地図も必要ということだ。だが、16世紀当時、それほど正確に偏角を測ることができたとも思えないので、陸の見えない地域での航海は博打のような要素もあったであろう

そして当時の船は帆船だから、距離を稼ぐために、風向き次第では陸から離れて大海原を航海する必要もあった。来る日も来る日も陸が見えず、乗組員たちの不安と不満は高まり、食料は徐々に少なくなり、しかも嵐になれば転覆の危険もある。そんな中、ヨーロッパからアフリカ、そしてインドや東南アジアまで来た船員達を、大いに尊敬する。

[※参考]
http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/poles/polesexp-j.html
http://www.aist.go.jp/GSJ/~okuma/amag/geomagcomps.html

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