カテゴリー「02 - 宗教・習俗」の記事

2008.12.17

もしも菩薩が天使になったなら

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これらは、平等院鳳凰堂の中堂内で、ご本尊である阿弥陀如来像を囲むように飛び回っている雲中供養菩薩像と いう。全部で52体あり、1体の大きさは高さがだいたい50-70cmほど。浄土教の教えでは、人が亡くなったときに、西方極楽浄土から阿弥陀様がお迎え にくる。西方極楽浄土には美しい花園があり、おいしい食べ物があり、天人が舞っているのだとか。その天人がこの雲中供養菩薩達で、天下人藤原頼通(990-1074)が極楽浄土を想い、定朝とその工房の仏師たちに作らせた。

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平等院鳳凰堂で、これらの仏像の存在を始めて知って、。驚いた。こんなお気楽に楽しんでいる仏像が日本にもあったんだ?! 菩薩といわれれば思いつくのは観音様、お地蔵様、弥勒菩薩くらいだけど、これらの仏像は普通は微笑んでいるか、瞑想しているかだと思う。雲中供養菩薩像のように、グループになって、楽器を演奏したり、踊ったり、恍惚の表情を浮かべていたりして、しかも雲にのってふわふわしているなんていう菩薩は初めてだ。まるでキリスト教の天使像じゃないか。あるいはインドの神様、たとえばサラスヴァティのようだ。

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雲中供養菩薩像ってなんなんだ。よくわからない。けどよくわからないから面白い。今後の研究課題の一つとしておこう。

※これらの写真については、書籍『魅惑の仏像17 雲中供養菩薩』の発行者である毎日新聞社が著作権を有しています。

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2008.02.10

アブラハムの宗教

Moses大学で西洋文明の授業を受けている。講師はタイ人の奥さんを持つ、若いフランス人だ。このフランス人はなかなか良い講師で、ギリシャ/ローマ文明やキリスト教について、自分の主張を交えて熱く語ってくれる。最近ではフランス訛りの英語も耳に心地よくなってきた。

「10 Commandment を知ってるか?」

知らないと答えると、不思議な顔をされた。
辞書で調べると、これはモーセの十戒のことだった。確かに戒律というより命令(コマンド)そのものだ。

彼の意見では、このモーセの十戒は、キリスト教を通じて西洋人の価値観に大きな影響を与え続けてきたという。たとえば「嘘をついてはならない」。ヨーロッパにおいては、理由はなんであれ嘘をつくことは大いに社会的信用を失する行いだそうだ。また「姦淫をしてはならない」。これは一夫一妻につながっていく。

禁じられた知恵の樹の実を食べたアダムとイブ以来、人類は原罪を持ってしまった。だから人間は自然のままではだめで、自己を鍛練しなければならない。西洋人がジョギングやスポーツが好きで、スポーツマンが賞賛されるのも、一つにはこの自己鍛練の価値観がある。

と、まあこういうことを語ってくれるのだ。

閑話休題。
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ところで、上記のアダムとイブの物語やモーセの十戒などは旧約聖書に書かれている(以後、中立的に「ヘブライ聖書」と呼ぼう)のだが、ヘブライ聖書は、ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも聖典だ。これは、ユダヤ教から派生した第一次改革派がキリスト教、第二次改革派がイスラム教だからだ。改革派はそれまでの価値観を全否定はせず、いいところは残すので、古いものの上に新しいものが積み重なっていく。だからこれらの宗教と聖典の関係は、次の通りになっている。

 (宗教名)      (主要聖典)
◆ユダヤ教    ヘブライ聖書
◆キリスト教   ヘブライ聖書と新約聖書
◆イスラム教   ヘブライ聖書と新約聖書とクルアーン

ちなみにそれぞれの内容はというと、おおざっぱに言ってこんな感じらしい(原典を読んだことがないので、ききかじりです)。

◆ヘブライ聖書   アダム、ノア、アブラハム、モーセなど
◆新約聖書     イエスキリスト
◆クルアーン    ムハンマド(モハメッドのこと) 

アブラハムという名前がキリスト教徒(たとえばエイブラハム・リンカーン米大統領)にもイスラム教徒(イブラヒームとなる)にも共通するのは、ヘブライ聖書に由来しているからだ。イスラム教徒がキリスト教徒と同じようにヒトは猿が進化したのではなく神が創造したと考えているのも、同じくヘブライ聖書にアダムとイブの物語があるからだ。

そしてこれらの宗教をまとめて、「アブラハムの宗教」(Abrahamic religion)と呼ぶのだそうだ。これに対応する言葉はDharmic Religion(法の宗教)とTaoic Religion(道の宗教)である。前者にはヒンズー教と仏教が含まれ、後者は道教のことだ。なかなか使い勝手の良い分類法だと思う。

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2007.12.20

お釈迦様のアニメ映画

Thelifeofbuddha気になっていたアニメ映画、「プラプッタジャオ」を見に行った。英語のサブタイトルは「The Life of Buddha」、その名の通り、ブッダ=お釈迦様の生涯を描いた映画である。ディズニーのような図柄だったので外国製作かと思いきや、今年の12月5日に公開されたばかりのタイ映画だった。

内容は、ブッダが生まれてから入滅するまでをたんたんと描いた、いたってシンプルなものだった。例えるなら、学研の子供向け伝記シリーズのような。深い洞察や意外な展開もなく、やや退屈したが、お釈迦様の生涯を簡単になぞるには良かった。脚本は大蔵経(タイでは「トリピタカ」という)をベースとしたらしい。恥ずかしながら、そういう経典があることを初めて知った。

音声はもちろんタイ語なので、英語字幕を追ってみていた。仏の教えを英語で聞くというのも不思議な気もするが、本質が伝わるように翻訳されているので、意外によくわかったりするものだ。以下にキーワードを挙げてみる。

四諦  the four noble truth
苦  suffering   執着 attachment
八正道  the eightfold path
悟りを開く enlighten, (awaken が使われることもある)
涅槃 nirvana
仏法僧  three jewels (Buddha, Dharma, Sangha )

日本で公開されるかどうかは不明だけど、もし公開されたなら、仏教知らずの仏教徒の日本人は見て損はないと思う。

様々な執着や欲望を訓練で克服することで、苦しみから逃れ心の平穏が得られると説き、その道筋を示してくれるお釈迦様の教えは、とかく金銭欲や出世欲や他人との競争に振り回され苦しむ現代人にとって、生き方の一つのヒントを与えてくれる素晴らしい思想だ。これを抹香臭いものと敬遠されがちなものにしてしまったのは日本の仏教界の責任だと思う。

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2007.11.30

ロイガトーン祭 in バンプリ

Loykratong1_2 タイ旧暦の12月の満月の日に、タイで全国的に行われるお祭りがある。ロイガトーン祭だ。今年は11月24日がこの日にあたった。

ロイは「浮かぶ」の意味、ガトーンはバナナの幹と葉で作ったボートのこと。このお祭りでは文字通り、バナナの幹を輪切りにした直径15-20cm、厚さ5cmほどのボートにバナナの葉や蘭の花などで飾りつけをして、それにろうそくを立て川に流し、川の精霊に祈る。日本各地での鐘楼流し、灯篭流しとよく似ている。

もともとのルーツはインドのガンジス河の灯篭流しから来ているとも言われるが、完全に土着化して実にタイ的な国民行事になっている。タイ新年のソンクラーン祭(4月)と並んで、タイの二大祭といえるのではないだろうか。

まず、このお祭りの第一の目的は、一年の罪や汚れのリフレッシュだ。ガトーンを川に流すことで、一年間の罪や汚れを水に流して、新しい一年を迎えられると言われている。ガトーンに自分の髪や爪を入れる人も多いらしい。

Loykratong2 そして旧暦の12月というのは、ちょうどタイでは雨季が終わり、稲の刈り取りも終わり、農家が一息つける時期だ。一つの区切りのイベントなのだろう。近年は、素朴なガトーンだけでなく、行政や主催者が準備する電気式の巨大なガトーンや船も登場して川に流している。また、美人コンテストがあったり、子供の出し物があったり、移動遊園地が出現したりもして、誰もが楽しめるお祭りになっている。

なおタイの若い人にとっては、この日を誰と過ごすかがとても重要らしい。日本のクリスマスイブ、あるいは京都の祇園祭の宵山のようなものか。恋人と一緒にガトーンを流して、ずっと一緒に流れていけばこれからも順調、などと占ったりもするとのこと。

さて、そんなロイガトーン祭をどこで楽しむべきか。バンコクのチャオプラヤ河のものは有名だが、派手なものよりも素朴なものを見たかったので、スワンナプーム空港近くのバンプリという田舎町で過ごすことにした。写真はすべてその時のもの。

526_2 満月が空に昇り始めた18時30分過ぎ、人に聞いて会場である川沿いの広場に向かうと、そこには食べ物屋台や洋服の一坪ショップがところ狭しと並び、既に人であふれていた。ガトーン屋も多かった。数人の小規模なものから、数十人で分業する大量生産のものまであって、伝統的には自分でガトーンを作ったのだろうが、今ではガトーンは買う人の方が多いようだ。私も当然、一つ買って流した。

来てる人は、親子連れとカップルが目立った。

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ロイガトーンの歌というのもあって、会場で流れていた。陽気で素朴で田舎っぽい歌で、意味がわからなくてもなんだかハッピーな気分になれる歌だ。いい具合に手持ちのデジカメに収めたので、会場の雰囲気を味わいながら、ぜひ聞いてみて欲しい。
http://jp.youtube.com/watch?v=eqSjJih1W1Q


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2007.11.27

タイの結婚式 

友人の結婚式に出席するため、パタヤまで行ってきた。

このカップル、二人合わせて国籍が3つというとってもインターナショナルなカップルだけど、式はタイ式でやった。私もタイ式の結婚式に出席するのは始めてで、タイ民俗学の題材としてもとっても興味深かったので、プライバシーに触れない範囲でレポ。

Wed1_2朝9時スタート。ソイ(小路)の入り口に新郎と参列者が集まり、ちんどん屋パレードがスタート。おかまちゃんが先頭を踊り歩き、音楽隊が盛り上げる。この日のために雇ったらしい。約10分かけて住居街をパレードし、新婦が待つ家へ。

参列者の手にはお菓子類が。袋で包んだような黄色とオレンジ色の揚げ菓子は、金(ゴールド)とお金を意味し、お金に苦労しないようにとの意味。ピーナッツをキャラメルで固めた雷おこしのようなお菓子は、いつでも二人しっかりくっついていられるように、そしてその他の甘いお菓子は、甘い結婚生活を、という意味らしい。

Wed2 家に到着しても、新郎はすぐには家には入れない。友人や親族が2人ずつペアになって、1メートルくらいの紐(鎖だったかも)を張って立ちふさがる。そのたびに新郎は何かを言わされたり(たぶん幸せにします、みたいな言葉)、お金をあげたりしてこの関門を突破し、4つの関門を抜けてやっと家に入れる。

式では、まず新郎新婦が親族の一人ひとりとご挨拶。親族がメッセージを述べると、新郎新婦は「よろしくお願いします」のような感じで深々と土下座のようなタイ式の最大級のお辞儀をする。それに合わせるように親族も深々とお辞儀をするが、このとき「がんばんなさいよ」みたいな感じで新郎新婦の頭に手を触れていた。タイでは成人男性の頭に手を触れることは珍しいのでちょっと驚き。そして新郎新婦から親族へ何かプレゼントを渡していた。

Wed3_2次に、これは一番驚いたのだが、膨大な千バーツ紙幣が円を描くように床に並べられた。これは新郎側が用意した結納金で、儀式ののち、新婦の母がもって行った。

次は友人も含めて、出席者一人ひとりがお清めの水を新郎新婦の手にかける儀式。順番はまず親族、次に既婚者の友人、最後に独身の友人。金色の豪華な器に張られた水にはオーキッドの花びらが浮かべられていて、ここから7-8センチ大の巻貝の貝がらをひしゃく代わりにつかって水を組み、両手のひらを合わせた新郎新婦の手にかけていく。このときお祝いの言葉を伝え、「来てくれてありがとう」みたいなやり取りが交わされる。

続いて寝室に移動しての儀式・・・だったのだが、食べ物につられてタイ人達と共に外に出てしまい、見逃したので割愛。

以上で全てが終わり、あとは軽食など食べながらの歓談タイムだった。11時過ぎに終了。

手作りの、みんなが楽しめる、ホントに気持ちの良い結婚式&パーティーだった。末永くお幸せに! これからも良い友達として宜しくね。

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2007.11.04

メッカの方角を知る方法

Corner_2 いつでもどこでも毎日5回、イスラム教徒はメッカ(正確にはメッカにあるハラームモスクのカーバ)の方向を向いてお祈りをささげる。しかし、いったいどうやってメッカの方角を知るのだろう

もちろんモスクの中には方角を示すものがあるのだが、家ではどうするのか? この点、プーケットに住むイスラム教徒は真西の方角を見れば良いらしく、日没の方向に向かってお祈りしている。

マレーシアで泊まったホテルでは、天井に「KIBLAT」と書かれた矢印が貼られているのをよく見た(写真)。これは非常口ではなく、お祈りすべきメッカの方角を示したものだ。

だがイスラム教徒がイスラム圏以外を旅行する場合はどうすればいいのだろうか? そんな人のためだろうか、雑貨屋でこんなものが売られていた。

Mcompass_5

ご覧の通り真ん中にあるのは普通の方位磁針だが、外周に角度盤と矢印のような塔がついている。このコンパスには、世界中の地名と角度を示した小冊子が付いている。

Degrees

小冊子を見ると、例えば日本の京都なら100度と書いてある。これはつまり、京都からだとメッカは磁北から100度西の方角であることを意味する。なので、方位磁針の赤い針(北)と、外周の100が一致するようにコンパスを回すと、そのとき塔が示した方角がメッカの方角になるコンパスなのだ。ちなみにクアラルンプールは85度、バンコクからは90度、ロンドンからは250度だった。

なるほど、これは便利だ。ところでこの外周盤を見直してみると、一周は360度ではなく400度になっている。なので我々の基準と比べると、1度の大きさは360/400、つまり9/10=10%減だ。なぜ400なのかは全くわからない。また一つ調査課題ができた。

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2007.09.14

地獄庭園

Jigokugarden仏教には六道という六つの世界があるらしい。天人が住む天道、人間が住む人間道、戦いが絶えない修羅道、牛馬の世界の畜生道、餓鬼が住む餓鬼道、そして生前に罪を犯した人が住む地獄道だ。

地獄の世界がどんなものであるかは、日本では、地獄絵図や小説「蜘蛛の糸」などでなんとなく知られているとはいえ、、一般人にとって身近なものとはいえないだろう。

ところがここタイでは、多くのお寺の壁画に地獄の様子が生生しく描かれていて、この世界には行きたくないなと思わせる。

さらにすごいのは、先日行ったパンガー県のお寺。ここにはなんと地獄の様子をこの世に再現した地獄庭園がある。地獄の入り口には閻魔大王らしき方が、罪人を裁いている。その奥では、舌を引っこ抜かれていたり、棘の木を裸で登らされたり、釜茹でにされたりする人間の数々・・・これらがリアルに等身大の人形で再現されているのだ。

このあまりに身近な「地獄」の存在を、どのように解釈すればいいのか、タイの上座部仏教のどこに位置づければいいのか、正直わからない。とりあえず今は、タイ仏教をより深く知るためのキーワードの一つとして捉えておこう。

いちおう写真も載せました。リアルなので、心臓の弱い方、グロテスクな世界が苦手な方は見ない方が良いでしょう。

地獄1 地獄2 地獄3 地獄4 地獄4-2 地獄5 地獄6 地獄7

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2007.09.10

ラマダンまであと2日

Mosque昨晩はイスラム教徒の友人Tに連れられて、プーケット島東部のシャロン湾近くのムスリムセンターへ行ってきた。五人の中学生がクルアーン(コーラン)30章を読み終えたことを祝う式典があるから、きっと面白いよ、と誘ってくれたのだ。

クルアーン30章というのがどれだけの量なのか想像もつかないが、大人に大いに褒められていたので、大きな一区切りなのだろう。なおクルアーンは原典にあたることが重要とされているため、タイ語の完訳というのはない。あるのはアラビア語原文の解説書だけだ。この子たちも一生懸命読んだんだろうな。

Muslimcenter広場の脇にはちょっとした食堂が並び、カレーそば、フレンチトースト、うずら卵の揚げ物など、簡単な食べ物が売られていた。この激甘のフレンチトーストを食べるのは、子供たちではなくて、大人たち。しかも男の。酒を飲まない彼らは甘いものが大好きで、砂糖をたっぷりまぶしたフレンチトーストをつまみに、これがまた激甘の紅茶を飲みながら談笑する。子供たちは走り回って遊んでいた。服装は、男性は白装束が多く、たまに黒もいる。女性はきらびやかなムスリムドレスもいたが、ジーンズもいて、いろいろだ。

夜8時、「アッラーアクバル~」とモスクからの大音量が流れると、礼拝堂に皆が集まってくる。礼拝堂の前には専用の水道がずらりと並んでおり、彼らはまず、口をすすぎ、手を荒い、顔、足もきれいに洗ってから入室する。三回ずつだそうだ。男性と女性は別室でお祈りする。子供は女性と一緒だ。

皆が礼拝堂の奥へ奥へと詰めていく。これは前に行けば行くほど評価が高いからだそうだ。一番奥にはリーダーが一人いて、皆、彼の動きに合わせてお祈りを行う。西の方向(メッカーの方向)を向き、何か神をたたえる言葉を言いながら、立って、ひざまずき、額を深く地面につけ、また立って、と4セット繰り返していた。所要時間は約15-20分くらいか。イスラム教徒は一日5回のお祈りをすべきとされているが、現実には現代人には5回は難しく、朝と夜のみ行う人も多いようだ。朝は2セット、夜は4セット。

友人Tは生理だったので参加できなかった。生理のときは不浄とされ、礼拝堂に入れないのだそうだ。まあ今日は私のガイドということで、お祈りは心の中のみで行うことに。

Mc2 お祈りが済むと、集会が始まった。グラウンドに椅子を運んできて、夜風に吹かれながら行う青空集会は、なかなか心地がいい。座席は男性席と女性席が完全に分けられていて、壇上に向かって、右が男性席、左が女性席。夫婦のみ隣り合って座ることができ、この場合は、二人で女性席に並んで座る。

四名の有識者が壇上に並び、この日は断食月ラマダンまであと数日ということで、代わる代わるラマダンの意義を訴えていた。彼らの話の内容は専門的すぎてよくわからなかったのだが、友人Tが一般的なことをいろいろと教えてくれた。

・ラマダンとは9番目の月のことで、マホメットが神の啓示を得た月である。
・普段よりもお祈りの時間も長くなるし、読むクルアーンの量も多くなる。
・ラマダンでは断食をする。太陽が出ている間は食べものはもちろん、水も飲めない。
もちろんガムも噛めない。でも日が沈んでからは飲み食いOK。
・性行為もダメ。でも日没後はOK。
・断食そのものが第一目的ではなく、神の教えを再確認することが目的。
・生理の女性は断食をしなくてよいが、事前に埋め合わせをする。
・学校は早く終わる。
・罪人も罪を悔い贖罪すれば、罪を許される。
・普段は生活パターンがばらばらの家族でも、この時期に限っては皆一緒に夕食を囲むことになり(皆同じ時間におなかをすかせている)、ラマダンの月は家族団らんの月でもある。

普通に日常生活をしながら、日中一切水を口にしないのは大変なことだろう。「ガムも噛めないから口臭が気になるわ。もし臭ったらごめんね~」だそうだ。9月12日夜からの一ヶ月、彼女から目が離せない。

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2007.09.09

ヒトはサルから

Monkey パンガーのお寺で野生サルと遭遇。「なんか顔似てない?」と隣にいたイスラム教徒のTをからかったところ、「私はアダムとイブの子孫だから、サルとは違うの」と怒られてしまった。

そうか、イスラム教もアダムとイブだった。ダーウィン進化論を受け入れにくいのはキリスト教徒だけじゃなくて、イスラム教徒もそうなんだ。

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2007.09.08

月を喰らう悪役

Rafuプーケットから1時間30分ほど北に走ったところにあるパンガーのお寺で、強烈なキャラを見つけた。

月を食べているこの真っ黒な方のお名前は、ラフーという。神様だ。だが、ヒール役だ。

詳しい友人が説明してくれたところによると、この神はもともとはインド神話ラーマーヤナから来ており、タイでもとてもポピュラーな神だという。

それによると、太陽、月、ラフーは神様の三兄弟だった。彼らは共に人間社会に来たがって、喧嘩をし、勝った太陽と月が来ることになった。太陽は昼を照らし、月は夜を照らすことに役割が決まった。負けたラフーは役割がなく、たまに地球に来ては月を食って悪さをするが、すぐに追っ払われる。これがつまり月食だ。写真は月を食べているところ。

かつて神々と悪魔の間で戦いがあったとき、神々は戦闘のために不死身の水を作り飲んだ。ラフーはこの不死身の水を盗み飲んだ。目的外のラフーの行動に怒った神々は、ラフーの首を切って落としたが、彼はすでに不死身になっていたので、首だけで生きている。

と、完全なヒール役なのだが、なんとも憎めないキャラで、文字通り主役を食ってしまっている。好きだなあ、こういうの。

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※9/15追記 その後いろいろ調べていて、この神は日本では「ラーフ」と呼ばれる、インド神話の乳海攪拌の物語に登場する悪魔と一緒であることがわかりました。私の友人のストーリーと、乳海攪拌のストーリーは若干異なるのですが、それはタイ式に変容しているからなのか、私の友人が省略しすぎたのか、その辺は不明です。

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