前回、タイ社会の中に黄道十二星座暦の影響がある、という話をした。
実はタイ語の月名も星座名も、サンスクリット語からの外来語だ。こちらのページに現代インドでの黄道十二星座の呼び方が載っているが、タイ語と全く同じで驚いた。
それもそのはず、黄道十二星座暦そのものが、実はインドの天文学(そして占星術・・・当時は未分離だ)としてタイに伝わってきたのだ。一般にサイデリアル方式と呼ばれているものがそれにあたる。
この黄道十二星座暦は古代バビロニアにルーツがあり、ギリシャ文明を経由して、西洋とインドに伝わっていった。西洋のものがトロピカル方式、インドのものがサイデリアル方式と呼ばれている。星占いの~座というのは西洋占星術だが、
西洋占星術とインド占星術とは兄弟分といえるだろう。そして日本人は主に西洋から学んだ十二星座で星占いをし、タイ人はインドから学んだ十二星座で月を呼
んでいる。この辺も実に面白い。
さて、それでは本題に戻ろう。なぜ4月13日を新年として祝うのか。4月13日の太陽は、春分点でも夏至点でも秋分点でも冬至点でもないし、はたまた地球と太陽の近日点でも遠日点でもない。この日に何か特別な意味はあるのか?
実はこの答えこそ、黄道十二星座暦サイデリアル方式の本質だった。
ここで一つ追加で説明しておかなくてはならない。これまで「~座(~宮)」という表記をしてきたが、両者は違うものなのだ。前者は星座で、後者の「~宮」と
いうのは、黄道を12で割って、そこにある12星座に等しく30度ずつ受け持たせた架空の概念だ。黄道上の実際の星座の大きさには大小があって、たとえばおとめ座
は太陽44日分の移動距離があるけど、かに座は21日分しかない。これでは不便なので、同じ大きさにしてしまったのが黄道十二宮という概念だ。西洋のトロピカル方式も、インドのサイデリアル方式も、黄道十二宮を使う点は共通している。
さて、では4月13日には何の意味があるのか?
この答えは実はシンプルだった。黄道十二宮が成立したと思われる古代バビロニアの時代では、4月13日に春分点があったのだ。太陽が真東から昇り、一日の昼と夜の長さがほぼ一致
し、天の黄道と天の赤道が交差する春分点は、一年の始まりにふさわしい。
そしてこの日に太陽がおひつじ座の位置にあるので、ここを白羊宮
(黄道0度~30度)の入口とした。だから春分点=太陽が白羊宮に入るとき=新年だった。
それが地球の歳差運動のため、数千年後の今では春分点が25日ほどずれてしまった。これへの対処法の違いがトロピカル方式とサイデリアル方式の違いで、トロピカル方式では春分点に合わせて白羊宮の位置をずらした。つまり星座の位置からは少しずれたところにその名称を持つ「宮」が存在することになってしまうが、春分点との関係を優先させたのだ。一年のはじまりである黄道0度の場所をずらしたということだ。トロピカル方式では新年は春分点=3月21日頃になる。
それに対してサイデリアル方式では、星座と宮の位置の重なりを優先させ、宮の位置をずらさなかった。この結果、春分点は無視することになった。新年は春分点とは関係なく、ただ単に太陽が白羊宮に入ったときとなった。
毎年4月13日には、太陽がサイデリアル方式での白羊宮に入る。タイで4月13日が「ソンクラーン」=新年であるのは、こういう背景があったのだ。
なお、インドの黄道十二星座暦が影響を及ぼした地域はタイだけではないだろうと思って調べてみたら、ミャンマーでも同じように新年を祝うし、シーク教徒にとっても新年だそうだ。さらに、この日のタイのテレビではインドのガンジス川で沐浴する人たちの映像が流れていた。南アジアから東南アジアの広い地域にかけて、この日は新年なのだろう。
これからは昼間の太陽を見て、この後ろにおひつじ座があるな、とか、そろそろ白羊宮から金牛宮に移ったな、なんて想像してみるのも面白いかもしれない。
【参考サイト】
http://www.lunarplanner.com/siderealastrology.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Zodiac
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※脚注 太陽が黄道0度に来る日は、うるう年の関係で4月13-14日から前後することがあるが、現在タイでは4月13日をソンクラーン初日と固定している。
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